2004-09-21から1日間の記事一覧

その後のExidy

1980年代のエキシディは、もう一人の鬼才、ラリー・ハッチャーソン氏をゲームデザインの主戦力とし、「マウス・トラップ」ほかいくつかのヒット作を残しています。「チラー」を初めとするガンシューティング路線を支えたのも彼でした。しかし残念ながら、彼…

Sorcerer

エキシディは家庭用ヴィデオゲームにはまったく興味を示しませんでした。しかしパーソナル・コンピュータ産業が勃興すると、これにはいち早く呼応し、1978年にZ80ベースのなかなかユニークなマシンを送り出しています。それがここでご紹介するソーサラーです…

Star Fire

アイヴィ氏が一線を退いて以降も、エキシディの快進撃はしばらく続きました。1978年、米国に「スペース・インベーダー」が上陸したのとほぼ同じ頃、エキシディは技術の粋を凝らした鮮やかな擬似3Dシューティングゲーム・「スター・ファイア」を送り出してい…

Car Polo

「サーカス」「ロボット・ボウル」に次いでアイヴィ氏が手がけたのは、4人同時プレイ可能なカー・サッカー「カー・ポロ」 (1977) です。それほどヒットはしなかったようですが、これもなかなかの意欲作でした。わずか4キロバイト未満のプログラムを駆使して…

Circus

「デス・レース」の翌年、アイヴィ氏はマイクロプロセサの使用技術を身に付け、さらなる成果を披露しています。そのひとつが、「デス・レース」とならぶエキシディの代表作、「サーカス」でした。「サーカス」は一般的には「ブレイクアウト」(ブロックくずし)…

Death Race

アイヴィ氏がエキシディで手がけた最初の作品は、「デストラクション・ダービー」 (1975) です。これはアタリが同年にリリースした「クラッシュ・アンド・スコア」 (1975) にヒントを得たと思われる、見下ろし視点のカー・アクションでした。「クラッシュ・…

Clean Sweap

1974年6月、ラムテックはアイヴィ氏の手がけた最初のヴィデオゲームを世に送り出しました。このころアタリ以外のメーカはまだ「ポン」の亜流作りに終始していたのですが、アイヴィ氏はその枠に収まらないユニークなゲームをいちはやく完成させています。のち…

語られざるヴィデオゲームの革新者―――エキシディとハウエル・アイヴィ

前回エキシディについて少し触れましたが、この会社に関する系統だった解説は、考えてみるとまだ誰も著していないのではないでしょうか。日本では一連の残虐ゲームと「サーカス」くらいしか知られていないメーカではありますが、卓越した技術力で1970年代を…