オーストラリアの8-bit事情

七年間の歴史を持つオンラインマガジン・『レトロゲーミング・タイムス』で、先月より「コレクティング・イン・オーストラリア」という連載が始まっています。「ふたりの巨人」(THE BIG TWO) と題したその第二回が、1980年代のオーストラリアにおける家庭用ヴィデオゲーム史を総括した内容で、なかなかに読み応えがありました。オーストラリアのシーンは、ヨーロッパともアメリカとも微妙に異なる歩みを辿ってきたのですが、微妙なだけにその違いが明確に語られることもなかなかなかったのです。著者であるアンドリュー・トンキン (Andrew Tonkin) 氏に翻訳掲載のご許可をいただきましたので、以下に全文ご紹介しましょう。


コレクティング・イン・オーストラリア - ザ・ビッグ・ツー
by Tonks


1980年代初頭、オーストラリアの十代の少年たち大半にとって、所有する価値のある機種は、実質二種類しかありませんでした。アタリ2600とコモドール64です。もちろん、コレコビジョン、インテレビジョン、光速船なども出まわっていましたが、人気のほどはアタリやコモドールのマシンとは比べるべくもないものでした。私の高校時代、子供たちの大半はアタリ2600かコモドール64のどちらかを所有していたものです。VIC-20を持っている人もいましたが、それは残りのごく少数、たとえば私などでした。しかし正直に言って、インテレビジョンやコレコビジョンを所有している顔見知りはいませんでしたね。光速船はみんな欲しがっていましたけど、当時持っていた人となると二人しか知りません。

レトロゲームコレクタの間では、今日でもアタリ2600とコモドール64が高い人気を維持しています。コレクション対象のクラシックシステムとして、この二機種は圧倒的です。熱心なコレクタになって以来、三つの州の四つの都市や街区で過ごして来ましたが、ガレージセールやマーケットを巡る時間は極力欠かさないようにしています。そういう場でしょっちゅう見かけるクラシックゲームアイテムとしては、アタリ2600関連とコモドール64関連が圧倒的に一般的なのです。

コモドール64

オーストラリアのコモドール64人気は、特別変わったものではありません。この素晴らしいマシンは、世界中どこでも驚くほど人気があったようです。しかしテープで販売されたゲームが多いことは、最大の違いといえるでしょう。この違いは、とくにアメリカとオーストラリアの間で顕著です。1980年代中頃を通して、テープソフトは長きにわたる、もっとも一般的な形式であり続けました。ここオーストラリアでは、ディスクドライブがとても高価で、コンピュータ本体以上ではないにせよ、同じくらい値の張るものでした。コモドール64所有者の大半は素直に、信頼性の高い (そして莫迦げて遅い) C2Nデータセット (訳注: コモドール純正データレコーダ) に甘んじていました。

テープゲームの価格は、ディスクよりかなり安価でした。大きなソフトハウスのゲームは、テープなら定価の半額近くで売られていたくらいです。しかしテープ人気が高かったのは、なんといっても安売りコーナーにおいてです。マスタートロニクやKixxのような会社は、8ドルから15ドルくらいの超低価格で、大量にゲームをリリースしていました。これは、当時の10代の小遣いで十分手が出る範囲です。三〜四週間も貯金すれば、すぐに新しいゲームを買うことができました。

とはいえ私の場合は、このテープゲームの大人気ぶりが契機になって、かえってコモドール64に興味を失っていきました。VIC-20オーナーである私にとって、ゲームのロードに要する時間は二〜五分くらいが相場でした。そんなとき、私の従兄弟がコモドール64を持っていて「ピットストップ2」をコピーしてくれたのですが、これはロードに誇張ぬきで二十分以上かかったのです。もう単純に耐えられませんでした。というか、現代のコレクタにだって耐えられません。テープソフトは無駄なものとしか思えません。私が個人的に知っているコモドール64コレクタは、みんなディスクまたはカートリッジのゲームしか集めていません。
コモドール64の全盛期には、イギリスからオーストラリアに、素晴らしいゲーム雑誌が大量に流れてきました。その一部は現在非常にコレクション価値の高いものになっています。もっとも人気があって、コレクタの間でも大モテなのは、あの巨人『Zzap 64』です。『Zzap 64』は偉大な雑誌です。イギリスでは一時、もっとも人気のあるコンピュータ誌の座に輝いたこともあります。これはゲーム雑誌の基準を定める役割を果たし、その基準は今日にも受け継がれています。ebayでは、かなり手頃な価格で新品同様の『Zzap 64』誌を入手することもできます。こういった雑誌はその後、付録カセットを表紙にくっつけて売り出されるようになります。このカセットにはゲームの体験版や完全版などがミックスして収録されていました。カセットが表紙に付いたままの新品雑誌は、プレミア価格で取り引きされています。コレクション価値のあるカセットソフトがあるとしたら、これが唯一の例でしょうが、私が思うに、これはどちらかというと雑誌コレクションのコンプリートに関することです。その他に人気の高いコモドール関連誌としては、『コモドール・フォーマット』や『コモドール・ユーザー』の二誌が挙げられます。

アタリ2600

「むかーしむかし」、シンプルな「ポン」タイプのゲーム機が、まあまあの人気を博していました。けれど人々は、とても早く飽きてしまいました。アタリ2600がリリースされたとき、その値段はちょっと高過ぎたので、大金持ちのお坊ちゃんにしか手に入れることはできませんでした。みんなアタリはとてもクールだと思いながら眺めていましたが、ゲームは全部がぜんぶ、「ポン」ゲーム機より段違いに面白いわけではありませんでした。でもやがて、アタリは賢くなって、「スペース・インベーダー」「アステロイド」「ディフェンダー」のようなゲームを発売しはじめたのです。こうなると、もうみんなアタリ2600を買わずにいられませんでした。アタリ2600を持っていることは大変な自慢になり、「クラスでいちばんクールな奴」の座へと、一直線に引き上げてくれたのです。

1982年頃、大幅な価格低下が起こり、またゲーム四本 (「スペース・インベーダー」「アステロイド」「ベルザーク」「ミサイル・コマンド」) がセット販売されるようになったので、アタリ2600の売れ行きは破竹の勢いで急上昇しました。私の従兄弟のひとりが、このパックをひとつ購入したのもその頃でした。当時私はハイスクール一年生で、この従兄弟は私より何歳も年上でしたが、この頃は無職でした。昼食時間になると私はバイクに乗って彼の家に行き、とんでもなく長時間、二人でアタリをプレイしたものです。ときどき昼食時間が終わっても学校へ戻らなかったりもしました。こういう事態は当然教師たちもお見通しで、昼食時間を監視付きで過ごすこともしょっちゅうでした。昼食時間はもっと有意義なことに使えるはずなのに。たとえば、従兄弟の家で、あいつの出した「アステロイド」のハイスコアを塗りかえるのにトライしながら過ごすとか。そう考えると苦痛でしたね。

オーストラリアでは、アタリ2600は1980年代を通して大人気であり続けました。ニンテンドー・エンタテイメントシステムやセガ・マスターシステムが登場しても、その人気が落ち込んだ様子はありませんでした。グラフィックスやサウンドは、ニンテンドーセガのほうが格段にいいことはみんな承知していましたが、アタリはなんといっても激安だったのです。

1980年代の終わりには、HES (ホーム・エンタテイメント・サプライズ) が素晴らしいボックスセットやマルチカートリッジを発売するようになります。HESはアクティヴィジョン、パーカー・ブラザーズ、イマジックなどの優れたゲームを四〜五本セットにして、だいたいゲーム一本分の値段で提供していたのです。滅茶苦茶お買い得だったので、これは大量に売れました。

90年代初頭には、ほとんどの人が16bitゲーム機やコンピュータに移行していました。しかしアタリは再び袖をたくし上げて、もうひと頑張りしています。アタリ2600Jr.の価格を信じられないほどの低価格、49ドル (訳注: 約4900円) にまで引き落としたのです。SNESメガドライブを本気で脅かすことはないにせよ、いまだにアタリが大量に売れている様子は衝撃的でした。

アタリ2600は恐らく間違いなく、オーストラリアでもっとも収集されているシステムです。私の知るコレクタは、その大多数がアタリ2600をナンバー・ワンのシステムとして挙げています。木目模様の六スイッチ・ボックス (訳注: 初代) は、ebayなら100ドル前後で手に入ります。その他のモデルのアタリ2600は、良質ゲームのセレクション込みで100ドルくらいですね。

フランスにおけるネオジオ (ネオジオフリークサポートページ)

はてな移行以前に一度ご紹介させていただいたことがありますが、日本語で読むことのできる数少ない海外旧世代機史という繋がりで、ついでに改めてリンクしてみました。SECAMがどういう問題を引き起こしていたのかよく分かるという意味でも、非常に参考になるコラムです。