ロンドン・アーケード事情

イギリスにおけるアーケードの起源はアメリカと同じくらい古く、アメリカで広まりはじめたコイン式ゲーム機を、ジョージ・バロンなる人物がイギリスに持ち込んだことに端を発しています。彼は1896年 (1901年とする説もあり)、グレートヤーマスにイギリス初のコイン遊技場として、ザ・パラディアムを開店しました。これはやがて「ペニー・アーケード」ではなく「アミューズメント・アーケード」と呼ばれるようになります。このため「アーケード」という呼称は、アメリカほど一般的ではないものの、イギリスでもまたゲームセンターを指すものとして通用します。

そういう由緒あるイギリスのアーケードですが、こんふりくと氏が1996年に伝えていた盛況ぶりはどこへやら。今では店舗の数もそれほど多くなくなっています。ロンドン中心部までいけばそうでもないのですが、ほとんどの店では圧倒的にギャンブル機が幅を利かせており、どのみちヴィデオゲームは隅のほうに追いやられている始末です。

ヴィデオゲームがもっとも充実しているのは、トロカデロナムコ・ステーションといった大規模アミューズメントスポットでしょうか。ただし日本と同様、こういう場所は大型筐体が中心です (プライズ機はほとんど見ませんでしたが)。ハムリーズ地階のゲームコーナーなどもそうでした。いろいろ回ってみて感じたのは、新旧問わずセガの大型筐体が目立つことです。新しめのところでは「頭文字Dアーケード」をよく見かけましたが、原作は海外でも結構人気あるのでしょうか。

セガ以外では「オペレーション・ブロッケード」の大型筐体版にもわりと頻繁に出くわしました。元はWindows用のゲームなのですが、アーケード版が出ていたとは知りませんでした。少なくとも日本には出回っていませんよね、これ。

ノーマル筐体主体の (そしてピンボールもある)、昔ながらのゲームセンター風アーケードはないものかと思って探してみると―――あるにはありました。トテナムコート通りのカジノという店です (ここくらいしか見つけられませんでした)。とはいえ決して面白い場所ではなくて、新作ゲームはほとんど入荷していませんし、画面の変色した筐体が目立つなど、メンテナンスにもやる気が感じられません。ただただ昔風というだけです。

ノーマル筐体の主流は、一応あちらでも格闘ゲームです。シューティングゲームやパズルゲームは完全に黙殺されているといっていい状況ですが、なぜか「ライデンファイターズ」と「パズループ」だけはどこの店舗にも必ず設置してありました。このふたつがあれば十分ということなのでしょうか。もうひとつ、「ミズ・パックマン」にもちょくちょくお目にかかりました。いまだにハイスコア争いが繰り広げられているだけあって、まったく息の長いゲームです。

ブライトン

今回のイギリス滞在中には、何度かロンドンを離れたこともありました。主だった行き先のひとつはイギリス最大のリゾート地・ブライトンです。ロンドンからバスで南に二時間の距離にある海岸沿いの都市で、高級感漂う街並みには、ファッショナブルな若者たちが行き交い、一見すると8-bit/16-bitと無縁に見えるかもしれません。しかしここは同時にイギリス最大の学生街のひとつでもあり、裏通りに回るとかなり多くの古本屋や古道具屋が軒を連ねているのです。おかげで書籍方面の収穫は、ロンドンを大きく上回るものになりました。それから、面白いことにアタリ関係の中古も、ブライトンのほうが圧倒的に充実していました。学生街侮りがたし―――というのは、どこの国でも同じなのですね。

スウィンドン・コンピュータ博物館

もうひとつの主要な行き先は、ロンドンから国鉄で一時間の場所にある閑静な小都市・スウィンドンでした。目的地は駅からバスで15分ほどの距離にあるバス大学のオークフィールド・キャンパス。ここにはイギリス最初のコンピュータ博物館があるのです。

大学の正面玄関をくぐると、いきなりPDP-8が待ち構えていて、おおっと驚かされます。これで博物館の存在をアピールしているわけですが、はじめて目にしたPDP-8は、ちょうどこちらの右から二番目の写真のような感じで (ということはPDP-8/Mだったのかな) 、意外なくらいコンパクトなその姿を見て、PDP-8がミニコンピュータよりはパーソナルコンピュータに近い存在だったことを、改めて実感させられました。

さて肝心の博物館はというと、構内の一室に間借りしたごく小さなもので、博物館というよりはむしろ展示スペースという趣のものでした (入場も無料)。しかし開設までに十二年に及ぶ年月が費やされたと聞けば、あだや疎かにはできません。じっさい膨大なコレクションから厳選されたという歴代の名品たちは、いずれも見入るだけの価値があるものでした。

展示内容は当然ながらイギリス製パソコンが中心なのですが、何も知らずに見れば、アメリカや日本に劣らない多彩な陣容に驚かされることでしょう。たびたび述べていることですが、イギリスのパソコン市場は、日本ともアメリカとも異なる独自の道のりを歩んできました。そしてそこから生まれた名機たちは、イギリスのみならず、ヨーロッパ各国からロシア、南米、アフリカに至る世界各地で、パソコン文化形成に寄与してきました。しかし日本で語られるパソコン史は、Risc PCとZX81を例外として、ほぼ完全にイギリス製品の功績を無視しています。機会があればこれについても、何かの形で整理してみたいところですね。

博物館にはゲーム機も数多く展示されていました。オデッセイ2からメガドライブまでの代表的な機種は一通り揃っていましたが、アタリ5200は意外にもヨーロッパではほとんど流通しなかったのだそうで、これはさすがに置いていませんでした。各種液晶/FLゲームや「スピーク&スペル」シリーズなども充実しており、このあたりは電源を入れて遊ぶこともできます。しかしこの方面でもっとも興味深いのは、なんといってもヨーロッパ製の珍しい家庭用「ポン」タイプゲーム機の数々でしょう。

SD-050 〜 ヨーロッパの隠れたベストセラーゲーム機

アタリVCSやインテリヴィジョンの上陸が遅れたため、ヨーロッパでは1982年〜1983年ごろまで「ポン」人気が持続していたといわれています。その間にヨーロッパの「ポン」タイプゲーム機は独自に発展を遂げ、PC-50xというカートリッジ規格を生み出しました。そして、これを使用するタイプのゲーム機がヨーロッパ各国に定着し、数年にわたってスタンダードとして人気を博していたのです。

カートリッジ式とはいっても、ゲーム機本体はCPUを内蔵していません。カートリッジそれぞれにGI社のゲームLSIが組み込まれているという、平たくいえばカセットビジョンのような方式になっていました。市場におけるポジションからいっても、日本におけるカセットビジョンによく似た存在だったといえます。PC-50x規格の元になったSD-050は、もともとは香港で生まれたゲーム機だったようですが、後に非常に多くの互換機や海賊版が生み出されたため、このタイプが事実上のヨーロッパ標準になっていったのだそうです。

スウィンドン・コンピュータ博物館は、月曜から土曜まで開館していますが、もし訪れる機会があるようでしたら、できるだけ土曜日の午前中を狙いましょう。このときに限り各種ゲーム機を実際にプレイすることができます。