ソニーの試作テレビゲーム (197x)

Classic Video Game Station Odysseyより、国内ではじめて家庭用テレビゲーム機を試作したのはソニーだったのかもしれないという、非常に刺激的なお話です。もっともこれは文字通り「テレビを用いるゲーム装置」であって、今日我々の知るデジタルなゲーム機ではなかった可能性が高いようです。せめて開いた状態のカートリッジスロットを見ることができれば、そのあたりもはっきりするのですが―――このスロット、なんだかBetamaxのテープがすっぽり収まりそうに見えるのは気のせいでしょうかね。もしソニーEVRゲームシステムのBetamax版のようなものを構想していたのだとしたら、ヴィデオテープ規格戦争の方向から眺めても面白いかもしれないなあ、などと妄想してしまいます。

このようにテレビゲームを広範囲に捉え直してみると、歴史から抜け落ちているものが意外なほどたくさんあることに気付かされます。私も最近、CRTディスプレイを使ったゲーム装置が第二次大戦直後に早くも構想され、特許を取得していたことを確認して驚きました。じつにこれこそが世界初のヴィデオゲーム特許なのですが、その存在を知る人は海外にもあまりいないようです。発明したご本人は現在95歳。なんとか一度コンタクトを取ってみたいと思ってはいるものの、研究家ともいえない市井の身の悲しさ、私はいまのところ相手にされていません。

第二次世界大戦が育んだヴィデオゲーム技術

この特許はレーダー技術と深い関わりがあります (詳細は後日改めて)。そういえば「テニス・フォー・ツー」のウィリアム・ヒギンボザム氏も、もとはMIT放射線研究所でレーダー研究に従事していた人物でしたね。オディッセイの生みの親であるラルフ・ベア氏もまた、軍事レーダーの開発に携わっていた時期がありました。パイオニア三人が三人ともレーダーを熟知した人間だったなんて、これはもう偶然では済まされないでしょう。レーダースクリーンは、映像のなかに仮想空間を描き出し、それを外部からの入力に応じてダイレクトに変化させる―――つまり今日いうところのインタラクティヴ映像を実現した最初の機器です。それに精通していたからこそ、彼らは映像ゲームの着想に、誰よりも早く辿り着いたのかもしれません。

レーダー技術は第二次大戦中に飛躍的な発展を遂げた分野ですが、その当時の特筆すべき成果のひとつとしてPPI (Plan Position Indicator) 方式の成熟が挙げられます。PPIとは、それまで波形しか表示できなかったレーダースクリーンに、二次元マップを映し出すことを可能にしたシステムです。この技術が発展しなければ、画面に点や線を自由に描くことはできず、したがって「テニス・フォー・ツー」も「スペースウォー!」も、さらには後のヴェクタースキャンの傑作たちも生まれなかったことになります。

PPI方式は1940年にドイツではじめて実用化されました。当時ドイツとならぶレーダー大国だったイギリスもすぐこれに追随、間もなくそこからアメリカにももたらされています。アメリカではRCAが、レーダーの初期開発にきわめて大きな役割を果たしました。RCAは戦後家庭用テレビ受像機のトップブランドとして君臨するわけですが、いっぽうでレーダースクリーンの精度も上げ続け、こちらはやがてコンピュータのモニタ出力としても活用されるようになります。「スペースウォー!」を生み出したPDP-1のモニタも、RCAのレーダー用CRT (16ADP7) を転用したものです。黎明期のヴィデオゲームはどれも、どこかでレーダー技術に繋がっていたわけです。