テレビゲームがビデオゲームとも呼ばれるのはなぜ?

―――というご質問を掲示板にていただきました。いわれてみると、ふたつの呼称が並立するようになった歴史的経緯は、まだ筋道立てて説明されたことがないようですね。これは結論からいうと、テレビ/ビデオゲーム機産業の創始者となったふたりの人物、つまりラルフ・ベア氏とノラン・ブッシュネル氏が、それぞれ別々に「テレビゲーム」と呼んだり「ビデオゲーム」と呼んだりしていたからなのです。

「テレビゲーム」という言葉は一般に和製英語と考えられていますが、これは明らかに誤りで、しかもこちらのほうが「ビデオゲーム」よりも歴史のある言葉だったりします。ラルフ・ベア氏がこの言葉をはじめて提唱したのはおよそ1967年頃のことでした。彼は世界最初の家庭用ゲーム機・オデッセイの試作を進めるにあたって、そのアイデアを「ホームTVゲーム」と呼んでいたのです。オデッセイの技術は1968年に『テレビジョンゲームおよび訓練装置』(原題: "Television Gaming and Training Apparatus") として特許出願されています。日本にはじめて「テレビゲーム」という言葉と概念がもたらされたのは、このときだったと考えていいでしょう。

そんなわけで、「ビデオゲーム」という呼びかたが定着する以前には、海外でも「TVゲーム」という呼びかたがある程度は通用していたのです。しかし「TVゲーム」は結果的に日本でだけ市民権を獲得し、海外では完全消滅してしまうことになります。日本と海外でいったい何が異なっていたのでしょうか? それはなんといっても、アタリの影響力です。

アタリの設立者ノラン・ブッシュネル氏とテッド・ダブネイ氏は、もともと世界初の商用ビデオテープレコーダを送り出したことで知られるアンペックスという会社で働いていました。まだ家庭用ビデオデッキの普及が始まっていないこの時期、ビデオ技術はごく一握りの企業だけが持つ特権的な技術だったわけですが、ブッシュネル氏らはアンペックスに在籍していたおかげでその技術に精通しており、「コンピュータスペース」や「ポン」の開発にあたってもノウハウを活かすことができたのです。テレビ画面の狙った位置に狙った映像を表示するような技術は、彼らにしてみればビデオ技術の賜物に他なりませんでした。アタリは当初、自らを「ヴィデオ技術の先駆者」と呼び、「ポン」のことを「ビデオ・スキル・ゲーム」と説明しています。これが「ビデオゲーム」になったのは、アーケード第3作目にあたる「ポン・ダブルス」 (1973) からです。翌年になると、アライド・レジャーやラムテックといったライバルメーカーたちの製品も、「ビデオゲーム」を名乗りはじめています。

こうして「ビデオゲーム」の呼称がアーケードに定着しはじめた頃に、アタリはさらに家庭用機としても「ポン」を売り出し、爆発的なヒットを飛ばしました。アメリカではこれをきっかけに、家庭用ゲーム機も「ビデオゲーム」と呼ばれるようになります。1976年になると家庭用ゲーム機の隆盛が雑誌等でさかんに取り上げられるようになるのですが、そのほとんどが「ビデオゲーム」の呼称を使用していました。

こうした記事は一部日本にも伝えられています。しかし肝心の家庭用「ポン」が、日本にはほとんど持ち込まれなかったのです。アタリに代わって日本で幅を利かせたのは、直後に売り出されたジェネラル・インストゥルメントの「ポン」チップ (AY-3-8500) と、それを使ったゲームキットたちです。このジェネラル・インストゥルメントこそが「テレビゲーム」の呼称を日本に広めた張本人でした。彼らは自社の製品を「TVゲーム」として紹介していたため、国内メーカーおよびショップも多くがこれに従ったのです。

日本ではその後もアタリの製品が普及することはなく、「テレビゲーム」の名称はなし崩し的に普遍化しはじめます。そしてさらにその状況に、任天堂「カラーテレビゲーム」シリーズ (1977) のヒットが追い討ちをかけました。「スペース・インベーダー」ブームの到来した1979年には、「テレビゲーム」という言葉はすでに一般名詞化しています。逆に「ビデオゲーム」のほうはこれ以後 (一時的にですが)、ほとんど口にされなくなります。

ただし同じ日本国内にあっても、アーケード業界内は例外でした。アタリもライバルメーカも一貫して「ビデオゲーム」の呼称を使い続けてきたこの世界において、「テレビゲーム」は俗語に近いものとみなされていたようです。それゆえ「ビデオゲーム」は、業界用語としては生き続けることになったのです。そのことを一般的なゲームファンたちに改めて知らしめたのは、『マイコンBASICマガジン』誌付録の「スーパーソフトマガジン」(1983〜) でした。ここでの再発見を通して、「ビデオゲーム」は特にゲームセンターのゲームを指す言葉として、消費者の間でも認知されるようになりはじめます。

再発見の影響は、他誌にも波及しています。たとえば『Beep』誌は1985年3月号で、アミューズメントゲームを「ビデオゲーム」と呼び、ホビーゲームマシンを「テレビゲーム」と呼ぶ、と宣言しました。このような使い分けが、当時はある程度意識的に行われていたのですが、今となってはほとんど忘れ去られているというか、あまり意識されないものになってしまいました。アーケードゲームが特別な存在だった時代が終わった現在、「ビデオゲーム」と「テレビゲーム」の使い分けは、もはや無用の長物になったといえるのかもしれません。