ポーランドのコンピュータ開発史
しかしやがてアタリが充実したサポート体制でPEWEX網に根を張り始めると、シェアが大きく変動します。アタリは1986年だけで10万台の65/130XEを売り、一時は市場の90%を占めるなど、スペクトラム陣営を圧倒する戦果を挙げました。ポーランドのパソコンソフト産業は、実質的にこの当時のアタリ市場を土台に育ったといわれており、シーンは現在でも多くの愛好者を抱えています (ポーランドはいま実質的にアタリXL/XEシーンの中心地となっている)。
しかし1990年代に入って自由化が本格化すると、北西欧デモシーンの台頭に引っ張られる形でコモドール64の浸透が加速。ソフトウェア市場の軸もこのころからコモドール64へと移っていきました。こちらのシーンも今日なお活気があります。
ポーランドはジャック・トラミエル氏を輩出した国ということで、アタリやコモドールに特別な愛着を抱いている人が少なくないようですね。アタリSTの愛好者も、他の東欧諸国より多いようです。
東ドイツのコンピュータ開発史
社会主義経済でありながらコインオペレイテッドなアーケードゲームさえ生み出しています――といっても「ポリプレイ」 (1985) が最初で最後のものですが。これはアクションゲーム8本をセットにした筐体で、東独の解体とともにほとんどがうち捨てられ、現存する実機はわずか数台しか確認されていないという代物。著作権者も東独国家とともに消滅しており、現在MAMEで動作するROMがフリー公開されています。
ゲーム内容はいずれも1970年代レベルの素朴なものでしたが、それでも若者たちは熱中したそうです。やがてこの様子を知った国家当局は、コンピュータゲームをスポーツとして公式に認知するという、驚くべき政策を掲げました。この背景には西独への対抗意識が働いていたと考えられています。西独ではこの前年、アーケードが少年犯罪の温床になっているとして、子供が公にヴィデオゲームに接することを禁止する法律が成立していました。しかし東独はその真逆を行ったわけです。
この政策はコンピュータ開発にも影響を与えました。文中に登場するKC85にわざわざジョイスティックポートが用意されていたりするのも、おそらくそのためです。ちなみにKCシリーズの末弟にあたるKC Compactは、珍しいアムストラッドCPCクローン。ベルリンの壁崩壊の1989年にリリースされたため、あまり数は出回りませんでしたが、他の東欧諸国にはないアプローチとして注目に値します。
チェコスロバキアのコンピュータ開発史
往時はスペクトラム、アタリXL/XE, MZ-800を中心に高い技術力のソフト開発チームが多数存在していたにも関わらず、今日ユーザーたちの活動はほとんど目立たなくなっています。これは他の東欧諸国と違ってデモカルチャがあまり発展しなかったせいかもしれません。
ちなみにSORD m5は、チェコスロバキアで最初に正規流通した外国製パソコンだったとか。これにも根強い愛好者がいますね。
ハンガリーのコンピュータ開発史
コモドール64に次ぐ人気機種は、エンタープライズ64/128でした。本国イギリスでは遅すぎた名機の評に甘んじ商機を逸したこのマシンも、ハンガリーでは1987年という早い段階で全国チェーン展開され、しかも破格値だったということで、大変な人気を博しました。こちらのユーザーグループも1990年代半ばまでは元気でした。
いろいろと不思議な機種が普及した、一風変わった8-bit時代も、ハンガリーの特色といえるかもしれませんね。
東欧のICLとElliot
ところでこれら東欧のコンピュータ黎明期に、ICLやElliotといったイギリスの代表的メーカーが頻繁に顔を出すのには驚きました。没落しゆくイギリスのコンピュータ産業は、こんなところに販路を拡げていたのですね。こういった東欧への売り込みが、冷戦下でどの程度公然と行われていたのかは気になるところです。