Golden Tee PlayTV 発売決定

ラディカ・ゲームズのプラグ&プレイ新作がアナウンスされています。今度は2006年秋にインクレディブル・テクノロジーズの代表作「ゴールデン・ティー・ゴルフ」をリリースするとのことですが、アーケードからの移植となるのか、体感路線の新作となるのかは、はっきりしていません。

Incredible Technologies

インクレディブル・テクノロジーズは、アタリやミッドウェイが撤退したいま、アメリカにおける最古参かつ最大手のアーケードヴィデオゲームメーカーとして君臨している企業です。とはいっても事業規模はそれほど大きくなく (従業員100名程度)、日本で知られているタイトルといえば悪名高い「ストリートファイター・ザ・ムービー」くらいですが、10年以上にわたって人気を誇る看板シリーズ「ゴールデン・ティー・ゴルフ」は、ご当地では馬鹿にできないブランドとなっています。

インクレディブル・テクノロジーズ (初期の社名はフリー・ラジカル) が旗揚げしたのは1985年のことでした。アメリカのアーケード産業が空前の不況に喘ぎ、多数の企業が撤退したり倒産したりしていた時期です。生き残ったアタリやミッドウェイでさえ事業の見直しを余儀なくされており、アタリは結局アーケード部門をナムコに売り渡します。バリー・ミッドウェイもまた、デイヴ・ナッチング・アソシエイツ (DNA) やマーヴイン・グラス・アソシエイツ (MGA) といった専属の下請けメーカーを遠ざけていきました。MGAでヴィデオゲーム開発に携わっていたエレイン・ホジソン氏とリチャード・ディトン氏は、そんな渦中にもアミューズメント産業に残り続ける道を探っていた人々で、その結果としてインクレディブル・テクノロジーズの設立に至ったのです。

Marvin Glass & Associates

DNAがヴィデオゲーム史に果たした役割については以前詳しく述べましたが、MGAもまた興味深い歴史を持つ会社です。もっとも彼らの場合は最初からヴィデオゲームメーカーだったわけではなく、その創業者マーヴイン・グラス氏はそもそも高名な玩具発明家でした。彼が1950年代から1970年代にかけて発明した玩具の数々は、それだけで一冊の本が書けるほど多彩なものです。グラス氏本人は1975年頃に他界していますが、その発明精神はあのラルフ・ベア氏をも惹きつけ、彼はやがてMGAと共同で「サイモン」を生み出すことになります (発売はミルトン・ブラッドレイ)。

ベア氏とMGAチームはこれだけでなく、「マンデイ・ナイト・フットボール」というヴィデオゲームや、業界初のカメラ付きヴィデオゲーム (プレイヤの顔を取り込むことができる) なども共同開発しています。いずれもバリーに売り込まれましたが、商品化には至らりませんでした。しかしMGAの開発能力が、バリーとその子会社ミッドウェイに大きな印象を与えたことは確かです。

ミッドウェイがMGAを本格的に起用しはじめるのはMCR-2マザーボードが完成した1981年からで、MGAは以後数年のあいだに「ワッコウ 」「ドミノマン」「タッパー」「ジャーニー」といった作品を手がけています。残念ながらいずれもヒットには至っていないので、アーケード不況の到来とともにMGAが見捨てられたのは無理からぬことでした。

Capcom Bowling 〜 Golden Tee 3D

このようにインクレディブル・テクノロジーズはミッドウェイの血脈に連なっているわけですが、1990年代初頭までは「Qバート」のサウンドを手がけた元ゴットリーブ社のデヴィッド・シール氏も主要メンバーとして活躍していました。設立当初はヴィデオゲームを開発しておらず、しばらくはデータイーストピンボール開発 (主にプログラミング) に協力したりしていたようです。ヴィデオゲームメーカーとして台頭しはじめるのは、1988年に開発した「カプコンボウリング」からです。このゲームは北米において大きな成功を収めました。日本でもそこそこ出回ったのでご存知のかたも多いでしょう (ところで皮肉なことに、MGAはこの年倒産しています)。

インクレディブル・テクノロジーズはこれを契機に、ヴィデオゲーム専門の企業へと転向し、社名をストラタに変更しています。「ゴールデン・ティー・ゴルフ」の第一作目が披露されたのはちょうどこの頃のことでした。しかし以後はめぼしいヒット作を生み出すことができず、業績は低迷。1995年には社名をインクレディブル・テクノロジーズに戻し、再建に向かって動きはじめます。この頃ストラタの名前は「タイムキラー」「ブラッドストーム」の2作により残虐ゲームメーカーとして売れていたので、改名の背景にはそこから脱却を計る思惑もあったのでしょう。

この1995年前後の低迷期のどん底にあるのが「ストリートファイター・ザ・ムービー」なわけですが、彼らはこれと前後して、起死回生のヒット作を生み出すことにも成功していました。それが「ゴールデン・ティー3D」です。この作品は主にバーを中心とするアダルト向けのロケーションを席巻し、インクレディブル・テクノロジーズは一躍その分野のトップブランドとして認知されるようになりました。この会社が停滞著しい北米のアーケード産業で成長を維持し続けているのは、アダルト向けスポーツゲームに焦点を絞った地道な開発努力と、むやみにトレンドを追いかけないMGAの気質を受け継いだ家庭的経営の賜物でもあるといえそうです。