テトリスの10年


恐らくインベーダーを動かせる基板なら、テトリスを実装することも可能だったのではないかと思います。

しかしインベーダーが登場してからテトリスが登場するのに、実に10年かかりました(あくまで日本国内での登場年です)。純粋にゲームデザイナーの思い付きだけで実現できたはずなのにです。

なぜあの時代まで「テトリス」のような落ちものパズルを誰も考えつかなかったのかというのは、歴史屋にとってはちょっと興味深い問題です。「テトリス」が実際に移植されている最古のプラットフォームはアタリVCSで、70年代のハードウェアで動作することはすでに証明されているわけですが、では一体「テトリス」のどのあたりが、それまでのゲームデザイナの思考回路に入っていなかったのでしょうか?

プラットフォームに左右されないシンプルなゲームというだけなら、当時も雑誌投稿プログラムなどで盛んに制作されていました。パズルゲームの開発では最先端を行く日本のこと、そういうところに「テトリス」に繋がりそうなアイデアがなかったわけではありません。とりわけ注目すべきは、「ロットロット」「チェインショット」の2本でしょう。どちらも発表は1985年。奇しくもオリジナル版「テトリス」が生まれたのと同じ年です。両者と「テトリス」は以下のような共通点を有しています。

  • 数十キロバイト以内で完結する小さなプログラム。
  • 重力をモチーフにした抽象性の高いデザイン。
  • ヴィデオゲーム産業の外側から生まれ、その後メジャーデビューを果たしている。
    • 「ロットロット」(MSX): 『プログラムポシェット』誌→アーケードほか
    • 「チェインショット」(FM-8): 『ASCII』誌→スーパーファミコンほか
    • テトリス」(PDP-11クローン): 商業化失敗→無償配布→アーケードほか
もちろん「テトリス」と「ロットロット」には、リアルタイムにゲームが進行するという共通点もあります。そしてその進行が、ひたすら平衡状態をキープするだけで究極的な勝利に至ることはないという、いわばピンボール方式で行われることは見逃せません。

ステージ区分もなくエンドレスに進むピンボールのようなゲームデザインは、パソコンゲームの黎明期にはわりあいよく見られたものでした。しかしどうしても単調になりがちで、ゲーム内容に深みを持たせるのが難しかったため、ステージ制が定着した1982年頃以降は急速に廃れてしまったのです。ステージなくして面白いゲームは作れない、というのが以後ほとんど暗黙の了解になっていたのではないでしょうか。

テトリス」上陸までの10年間はそのような認識の打破に費やされた時間だったといっても過言ではありません。そして「テトリス」以前にピンボール方式への回帰を試みたほとんど唯一の事例が「ロットロット」だったわけです。この意味で「ロットロット」は「テトリス」になりそこなった惜しい失敗レシピだったといえると思います。あのとっつきにくさと難度の高さが解消されていたら、少なくとも世間の評価は多少上向いていたはずです。しかしそのためにはきっと、徹底した簡素化を貫く「チェインショット」の哲学が必要だったに違いありません。「チェインショット」の抜群のシンプルさと親しみやすさは、「テトリス」以前のどのゲームよりも「テトリス」的であるといえます。この設計思想が「ロットロット」の方法論と出会っていたら、「テトリス」革命は別の形で起こっていたかもしれない――馬鹿げた空想かもしれませんが、10年の空白にはそんな思いを巡らせるだけの因果が埋もれています。