リバース・エンジニアリング

ラジオ86RKで確立された「はじめにオープンアーキテクチャありき」という構図は、次いで普及することになるZXスペクトラムにも当て嵌まります。いえもちろん、ZXスペクトラムはもともとオープンアーキテクチャのマシンではありません。大部分は汎用部品で構成されているものの、画像処理や各種入出力を司るカスタムゲートアレイだけは、門外不出のトップシークレットだったのです。スペクトラムが他社の同クラス機に比べて、圧倒的な低価格化を達成することができたのは、ひとえにこの多機能チップのお陰でした。これが一般に出回らない限り、スペクトラムはスタンダードにはなりえなかったわけです。しかし1985年、ソ連設計局がウクライナリヴィウ工科国立大学に対し、秘密裏にスペクトラムリバースエンジニアリングを要請しました。彼らは短期間でカスタムゲートアレイの構造を解析し、何十個もの論理ICを組み合わせてこれを完全再現します。その成果は初の国産互換機「リヴィウ」に結実しました。ただしこれは量産されず、一般には出回っていません。

同じような試みは当時、ポーランドチェコスロバキアルーマニアなどでも行われていました。そしてそれぞれの成果と、それぞれの互換機を生み出しています。