次世代のスペクトラムを求めて

ペンタゴンは何度かバージョンアップを繰り返し、いつのまにやらターボモードや拡張音源などを備えて、本家を凌ぐ盛り沢山なマシンへと進化していました。RAMの最大容量も512KB (本家の4倍) までサポート可能になっていきます。

ロシアではやがて、本家以上にペンタゴンの仕様が影響力を持つようになりました。たとえば、イギリスのZXスペクトラムシーンではディスクドライブの標準化が遅れたため、テープメディアが主流であり続けたわけですが、ロシアではペンタゴンの後期モデルがテープサポートを打ち切ったため、テープソフトがすぐに姿を消し、ディスクメディアが一般化していくことになります。しかもそのフォーマットは本家とはまったく異なっていました (ペンタゴンが採用したのはTR-DOSといって、かつてイギリスの無名サードパーティからリリースされたまま忘れ去られていたものです)。

しかしそのペンタゴン全盛時代も、ソ連の解体により新しい局面を迎えることになります。1992年に本格的な市場経済への移行が始まると、悪徳コーペラチフに暴利を貪られることなく、正当な市場価格で輸入コンピュータを購入する道が拓かれました。この頃からアミーガやIBM-PC互換機の流入が急速に進み、1995年にはサンクトペテルブルクで、両機種を対象とするロシア初のデモパーティ・ENRiGHTが開催されるまでになります。

また1993年には、台湾製ファミコン互換機が上陸し、子供たちの間で爆発的な人気を博するようになります。小天才を筆頭にさまざまなタイプが流通していたようですが、名称はすべて「Dendy」で統一されていました。純正品のまったく存在しなかったロシアでは、NESファミコンという呼称はほとんど通用しません。それどころか、もともとこれが任天堂の製品だったということすら知らない人も少なくないくらいです。

このように新世代機が台頭しはじめても、サポートやソフト資産の面で大きなアドバンテージのあるZXスペクトラムの人気は、そう簡単には衰えませんでした。しかしクローン機メーカー各社は新しい時代に対応するべく、次世代のスペクトラムの姿を模索しはじめます。たとえば、レニングラードシリーズの開発者であるセルゲイ・ゾノフ氏は1992年、各種PC用パーツを流用可能な、拡張性に優れる高性能互換機・スコーピオン ZS-256を完成させています。これは本家スペクトラムとの互換性に重きを置いた結果、ペンタゴンとの互換性を若干欠くことになったため、ペンタゴンほどの人気商品にはなりませんでした。しかし実は、現在でもまだ開発と販売が続いています。

このスコーピオンの理想をさらに推し進めたのが、1996年発売のスプリンターでした (はい、ようやく話が最初に戻ります)。スプリンターが8-bitリバイバルの潮流から生まれたものではないということを、ここではじめて理解できると思います。

ピーターズ・プラスは、1993年に最初の製品をリリースした、かなり後発のZXクローン機メーカーでした。彼らが当初リリースしていたMC64シリーズは、開発者向け機能の拡張・強化に重点を置いた、玄人志向のマシンでした。これにスコーピオンの設計思想が融合して誕生したのが、スプリンターだったといえます。事実スプリンターはスコーピオン互換を謳っていました (ついでにペンタゴン完全互換でもあります)。

アミーガやPCが猛威を奮ういま、旧来のスペクトラム像から脱皮しなければ、スペクトラムユーザーに本当の意味での未来はない―――そう考えて、スプリンターがスペクトラム以上のことをできる新システムであることを、彼らはことさら強調したのでしょう。そういう点では、クラシックアミーガに対する次世代アミーガに近い存在だったといえるかもしれません。しかしユーザーたちは、スプリンターをスプリンターとして使いこなすところまでは到達しませんでした。ソフト資産の少なさが、その人気の薄さを物語っています。

たしかにスプリンターは、アミーガ500に匹敵するほどの性能を実現していました。386時代の標準的なPCと比べても、表現力の面では遜色なかったかもしれません。実際のところ、そのあたりのクラスを意識してスペックを設定したのではないかと見受けられます。しかし新システムとして考えるのであれば、スプリンターは完全にゼロからのスタートでした。ソフト資産はZXスペクトラムのものしかないわけですから、Windowsはもちろんアミーガにも太刀打ちできるわけがありません。それでも八年持ち堪えたわけですから、むしろよくやったといっていいのでしょう。

スプリンターの軌跡は、8-bitリバイバルを単なるリバイバルで終わらせないことが、どれほど難しいかを示しているようにも思います。C-OneやCPCNGを始めとする同様の試みも、その失敗に学ぶところは大きいはずだと思いますが、どうか似たような轍を踏まないよう心がけてほしいところです。

(ところで、次世代スペクトラムを目指したものは当時ほかにもいろいろあって、面白いところでは、『ZXレヴュー』という雑誌が1995年ごろ、ファミコン互換機に使用されているワンチップファミコンとZXスペクトラムを組み合わせた新型機を企画していました。実現したのかどうかは定かではありませんが)

参考: