アクレイム倒産


先月あたりから急速に雲行きを悪化させていた米・アクレイム社が、8月30日付でついに倒産を発表しました。近年はお抱えヒット作の権利を次々と失っていたので、予想された結末ではありましたが、かつての北米市場を支えた最大手のひとつであるだけに、やはり衝撃は大きいようです。

アクレイムといえば、日本のクラシック界隈ではとりわけメガドライブユーザーの間で有名な会社です。「マキシマム・カーネイジ」など末期のソフトが巻き起こしたさまざまな波紋は、ご存知のかたも多いでしょう。しかしこの会社は、もともと任天堂の申し子ともいうべき存在で、海外初のNESサードパーティとなる目的で設立されたというのが、そもそもの起源だったりします。

アクレイムのCEOを務めたグレゴリー・フィッシュバッハ氏は、その前にはアクティビジョン国際部門の代表者でもありました。アタリVCS市場が崩壊した1984年にアクティビジョンに参加、最初は経営コンサルタントとして辣腕を振るい、のちアクティヴィジョンがヴィデオゲーム市場からパソコンゲーム市場へ舵切りするさいに大きく貢献しました。その後RCAレコードに移籍し、やはり海外部門を任されていたのですが、そのときふとしたきっかけで、もう駄目だと思っていたヴィデオゲーム市場でNESが急成長しているのを知ることになります。アクティビジョン時代に培った日本市場の知識があればこそ、フィッシュバッハ氏は任天堂の真価をいち早く認めることができたのかもしれません。彼はかつての同僚らと組んでその可能性に賭けてみることにしました。そして1987年3月、アクレイムをスタートします。

アクレイム自体は当初ゲーム開発能力を持っていませんでした。そこでまず既存のゲームメーカーからライセンスを掻き集め、9月に「スター・ヴォイジャー」(アスキー, 邦題「コスモジェネシス」) 「タイガー・ヘリ」(タイトー)「3-D ワールドランナー」(スクウェア, 邦題「とびだせ大作戦」) 「ウィンター・ゲームス」(エピックス) をほぼ同時にリリース。デヴィッド・シェフ氏著の「ゲーム・オーバー」によると、これらには最も強気の予測をも上回る注文が殺到したといいます。「ウィンター・ゲームス」はコモドール64からの移植で、ほぼ同時期に任天堂がリリースした「スラローム」(レア社) とともに、最初の海外製ファミコンゲームのひとつに数えられます。

以後アクレイムはパック・イン・ビデオの「ランボー」をリリースしたきり、日本製ゲームとは疎遠になっていく (というより日本の各社が自社流通を強化する) のですが、プチ任天堂的なパブリッシャーとしての性質はさらに強まり、のちにはさまざまなサードパーティを糾合して、あらゆるメディアを利用した販促キャンペーンを展開するまでになります。1990年頃までのアクレイムは、北米サードパーティの牽引力ともいうべき存在だったのです。

アクレイムはその後ミッドウェイと契約、幾多のアーケードヒットを家庭用に移植する権利を獲得しました。1992年、ミッドウェイ最大のヒット作「モータル・コンバット」が登場すると、この移植権はたちまちアクレイムのドル箱と化しました。この頃北米市場はNES全盛時代から脱皮し、セガジェネシス任天堂SNESの激しいデッドヒートに突入していたわけですが、「モータル・コンバット」の移植の出来は、両者を比較する格好の材料にされます。ハードウェアのスペックでいえば、もちろんSNESに分があったはずなのですが、セールス的にはジェネシスに軍配が上がりました。よく知られているように、任天堂がこのゲームの残虐表現に対して強い規制をかけたためです。この「モータル・コンバット」戦争の惨敗により、任天堂は暴力表現のありかたについて再考せざるを得なくなります。

その後も「テュロック」(ニンテンドー64) を筆頭にいくつかの大ヒットを生み出していたアクレイムですが、近年になって「モータルコンバット」や「NBAジャム」シリーズの移植権がミッドウェイの手元に戻り、さらに「テュロック」のイグアナ・エンターテイメントが離反を起こすなど、急速にパブリッシャーとしての訴求力を低下させつつありました。

ライセンスで財をなし、ライセンスで没落していったアクレイムの姿は、現在のアタリやミッドウェイのように、ブランドネームで切り盛りしている他のヴィデオゲーム企業の命運にも、不吉な影を落としているに違いありません。