Car Polo

「サーカス」「ロボット・ボウル」に次いでアイヴィ氏が手がけたのは、4人同時プレイ可能なカー・サッカー「カー・ポロ」 (1977) です。それほどヒットはしなかったようですが、これもなかなかの意欲作でした。わずか4キロバイト未満のプログラムを駆使して、マイクロプロセッサによるヴィデオゲームの可能性を、当時としては最大限に引き出しています。複数のコンピュータ・プレイヤが人間と競りあうゲームは、アタリの「スプリント2」とならんで、これが最初のひとつでした。シビアになりがちなコンピュータの動作が、適度にあいまいに調整されているのも、なかなか見事です。

「カー・ポロ」はまた、はじめてRGBカラー (8色) を実現したゲームでもありました。ヴィデオゲームのカラー化は意外に歴史が古く、ナッチング・アソシエイツの「ウインブルドン」 (1973年春頃) にまで遡ることができますが、「カー・ポロ」以前のゲームは、基本的にブロック単位での配色で、カラーの重ね合わせを処理することはできませんでした。これをいち早くやってのけたのがアイヴィ氏だったわけです。

(ちなみにパソコンゲームのカラー化もわりあい早く、1975年にはクロメンコ社よりアルテア8800互換機用の8色グラフィックスカード「ダズラー」、およびこれに対応した「スペースウォー」や「タンクウォー」といったゲームが発売されていました。アップルIIがドット単位のカラーを実現したのも「カー・ポロ」の直後です)

「カー・ポロ」を最後に、アイヴィ氏はゲームデザインの表舞台から遠のき、以後はハードウェアの設計と管理に専念しています。1981年には一時的に戦線復帰し、のちの「ガントレット」にも通じるアクション・アドヴェンチャの秀作「ヴェンチャー」を手がけていますが、これが実質的に彼の最終作品となりました。