Star Fire

アイヴィ氏が一線を退いて以降も、エキシディの快進撃はしばらく続きました。1978年、米国に「スペース・インベーダー」が上陸したのとほぼ同じ頃、エキシディは技術の粋を凝らした鮮やかな擬似3Dシューティングゲーム「スター・ファイア」を送り出しています。もっとも、このゲームは外部からの持ち込み作品で、エキシディのスタッフは筐体デザインくらいにしか関与していません。

「スター・ファイア」は、当時としてはまだ珍しい、3D空間を表現したヴィデオゲームのひとつだったわけですが、擬似3Dもまた、マイクロプロセッサが可能にした技術革新のひとつでした。その嚆矢となったのはデジタル・ゲームズ社が1976年に完成させたドライブゲーム「ナイト・レーサー」です。のちにアタリとミッドウェイにライセンスされ、それぞれ「ナイト・ドライバー」「280 Zzzap」として登場しているので、名前としてはこれらのほうがよく知られています。そして、「スター・ファイア」は、このゲームの開発中心人物であるテッド・ミション氏が手がけたものなのです。

デジタル・ゲームズ社は「ナイト・レーサー」の発表後、すぐに倒産しています。ミション氏はその後フリーランスとなっていました。ある日彼は、映画「スター・ウォーズ」を鑑賞して大きく感銘を受け、その世界をゲーム化したいと考えるようになります。おりよくミッドウェイから仕事を請け負ったミション氏は、大学の後輩であるデヴィッド・ロルフ氏をソフトウェア担当に招いて、その開発をスタートしました。彼らはカリフォルニア工科大学PDP-10にアクセスしながら、ミション氏の自宅で「スター・ファイア」を完成させています。

開発の動機そのままに、このゲームには「スター・ウォーズ」の影響が色濃く映し出されています (必要ならばライセンスを獲得するか、デザインを変更するつもりではあったそうです)。「スペース・インベーダー」と同期のゲームとは思えない、RGB32色カラーの華々しい映像も、映画的な雰囲気を支えるのには一役買っています。ゲーム内容にはいささか単調なところがありますが、それでも全体的なインパクトは十分に大きなものでした。

しかしミッドウェイは「スター・ファイア」の出来に満足せず、そのリリースを拒絶しています。ミション氏らは落胆しましたが、それからたった二週間のあいだに、三つもの会社から「スター・ファイア」をリリースしたいと声が掛かりました。熟慮の結果、彼らはエキシディを選びます。エキシディはこれを世界初のコクピット型筐体で商品化し、数千台を製造 (*アップライト筐体版も含む)。ミション氏の証言に拠れば「二年以上にわたってアーケードのトップ10リストにランクインしていた」そうです。

「スター・ファイア」は、ヴィデオゲーム史上はじめてネームエントリを導入したゲームでもありました (しかも特定イニシャルによる隠しメッセージ付き)。これはプレイヤがゲームから何か獲得できるようにする方法はないだろうかという議論から、ロルフ氏が思いついたアイデアだったのですが、当初はどうやって文字を入力させればいいのか、ずいぶん悩まされたそうです。コントローラとボタンによるネームエントリという、いまから見れば当たり前のアイデアが完成するまでにも、苦労の積み重ねがあったわけですね。

(ちなみに宇宙を舞台にした擬似3Dシューティングは、「スター・ファイア」が最初ではありません。それより一年ほど前に、アタリが「スターシップ1」というゲームを完成させています)