Raster Scanの逆襲 (1981-1984)

アタリがヴェクタースキャンに熱を上げていたころ、これと対照的に、ラスタースキャンによる擬似3Dゲームの開拓に力を入れていたのが、セガ/グレムリンでした。彼らにもシネマトロニクスから受け継いだヴェクタースキャンの技術があったわけですが、それを活用した3Dゲームは、「スタートレック」「タック/スキャン」(ともに1982) など、ごく僅かしか出ていません。

セガ/グレムリンがラスター方面で見せた最初の成果は、「スペースタクティクス」 (1980) と「ターボ」 (1981) です。それぞれ「スペース・インベーダー」と「モナコGP」を強引に3D化したような作品ですが、リアリズムよりもダイナミズムを優先するという、のちの体感ゲームシリーズに通じる思い切りのよさの萌芽として、注目に値します (ただし開発はどちらも海外のようです。1982年までのセガ作品は、大半がグレムリン系スタッフによるものでした)。

とくに「ターボ」は、スムーズな拡大/縮小処理でそれまでにないスピード感を生み出し、北米では好成績を記録したわけですが、この方法論をもっと洗練された形に仕立てたのは、セガではなくナムコでした。彼らの生み出した「ポールポジション」(1982) は、いうまでもなく、ポリゴン以前のあらゆる3Dレースゲームの原型といえる作品です。セガ/グレムリンはこの頃、むしろ「サブロック3D」「ズーム909」といったシューティング路線に力を注いでいました。「ズーム909」はSF映画「バック・ロジャース」を題材としたもので、海外ではその名で発売されています。このゲームには「スペース・ハリアー」の原点ともいえる要素が随所に散りばめられていました。

同時期のセガの功績として、もうひとつ忘れてはいけないのが、池上通信機と共同開発した斜め見下ろし視点の新感覚3Dシューティング「ザクソン」(1982.5) です。「ザクソン」は北米で大人気作となり、これに続いて同年10月には「Q*BERT」(ゴットリーブ)、翌年1月には「コンゴボンゴ」 (セガ) と、変わった視点のゲームが次々とヒットを飛ばしました。この路線ではアタリも大いに奮闘し、「クリスタル・キャッスルズ」 (1983) 「マーブル・マッドネス」 (1984) 「ペーパーボーイ」 (1984) といった特色ある作品を残しています。もっともジャンルとしての特殊視点ゲームは、アメリカのアーケード不況到来とともに一度息切れし、以降は思い出したようにぽつぽつ現れる程度になっていきます。

1983年から1984年にかけては、ハードウェアのヴィデオ処理能力がかなり進歩し、また半導体価格も急降下したので、ヴェクタースキャンは斜陽を迎えます。そしてまさにこの時を待っていたかのように、多くのメーカーがラスタースキャンの3Dゲームに挑戦しはじめるのです。コナミ「ジャイラス」「ジュノファースト」で怪気焔をあげ、テーカン「センジョウ」で複雑な奥行き処理を実現。また任天堂「パンチアウト!」で一人称視点スポーツゲームの基礎を築きました。日本で3Dゲームが注目を集めるようになったのは、この時期以降です。