なぜ初期の3Dゲームは日本で受けなかったのか

日本では1985年まで、「ポールポジション」を例外として、不思議なほどに平面ゲームばかり支持される傾向がありました。事実今回取り上げたゲームの半数以上は、日本ではマニア層にしか認知されていません。この差はよく「リアリティに対する国民性が違うせいだ」と片付けられてしまいますが、それ以上に注目すべきことは、基本的にアタリもセガも、米国でのマーケティングに重点を置いていたことでしょう。

1983年から1985年にかけて、アタリとセガマーケティング体質は大きく変化しています。アタリ製ゲームの認知度が国内で急上昇したのは、1985年にナムコ傘下に入ってからでした。そして同様に、セガの日本市場への積極性も、米国ガルフ・アンド・ウエスタン傘下の時代 (1969-1983) と日本CSK資本の時代 (1983-2003) では根本的に異なっています。国民性どうこう以前に、1980年代前半の日本は、まず3Dゲームの推進母体を欠いていたわけです。