Atari Football
レインズ氏は、ブリストウ氏の抱いていたフットボールゲームのアイデアに共感していたようです。彼はこの実現のためにもう一段改良を重ね、ついに最高16個のスプライト同時表示を達成しました。これで開発に弾みがつき、ブリストウ氏の夢見たゲームは1978年、ようやく「アタリ・フットボール」として完成するのです。このゲームは日本でこそまったく無名ですが、アメリカでは同年最大のヒット作となり、NFLシーズン中は「スペース・インベーダー」をも凌ぐ人気を誇ったといいます。このゲームはまた、トラックボールを採用した最初のヴィデオゲームとしても歴史に名を残しています。
「アタリ・フットボール」で用いられたスプライトシステムは、のちにMOC-16 (Motion Object Control, 16 objects) という汎用スプライトシステムへと発展しています。「アタリ・フットボール」の開発に参加していたマイク・オルボー氏は、「MOC-16は日本のヴィデオゲームメーカたちの手で広くコピーされ、そして改良された」と述懐しています。やがてスプライト技術の旗手となるナムコが、その最初のヴィデオゲーム「ジービー」を世に送り出したのは、ちょうど「アタリ・フットボール」がお目見えした1978年10月でした。その時から彼らはMOC-16を徹底的に研究していたのでしょう。「ギャラクシアン」を世に送り出し、最高4個のカラースプライト同時表示という技術を披露したのは、それからわずか一年後のことです。ナムコが積極的にアタリフォントを使っていたのは、もしかすると自分たちの技術の礎を築いたアタリに対する、隠れた賛辞だったのかもしれません。
参考:
- Mike Albaugh: Atari Football History (coinop.org編)
- Jed Margolin: Atari's Patents