Interton VC-4000 / Radofin 1292 PVS

8244はオデッセイ2で使用されたのを最後に、ヴィデオゲームの世界から消えていきました。インテル自身も、これ以降ヴィデオゲーム用チップは開発していません。16枚同時処理という、時代を考えれば驚異的なそのスプライト技術も、結局後の世に受け継がれることなくロストテクノロジと化してしまったわけです。

しかし興味深いことに、ヨーロッパでは8244と非常によく似たヴィデオチップが、人知れず繁栄を遂げていました。フィリップス傘下の半導体メーカ・シグネティクスが開発した2636N, 通称PVI (おそらくProgramable Video Interface) です。2636Nには、8244との表面的な互換性はありません。しかしそのスプライト機能は、8244の「マイナー・システム」と酷似していますし、背景の描画方法がグリッドのみという点も同じです (もっともグリッドの構成方法はやや異質で、8244と違ってラインの太さをある程度変化できるようになっています)。最大の違いは「メジャー・システム」に該当する機能がないことですが、代わりに得点表示機能があり、その目的はある程度までカバーされているといえます。

シグネティクスの当時の製品については情報量が著しく少ないため、2636Nがいつ頃リリースされたものなのかはよく分かっていません。しかし、これだけ8244と設計思想の似通ったチップが、同じ時期にまったく独自に生み出されたということはないでしょう (両者は1チャンネルのサウンド出力機能を持っていることまで共通しています)。どちらかがどちらかを参考にしたと考えるのが自然ですが、だとするとオリジナルは、おそらく8244のほうです。8244の開発に携わった人々は「自分たちこそ世界最初のスプライトチップの生みの親である」と誇らしく語っていますし、もし2636Nのほうが先に完成していたのなら、マグナヴォックスもオデッセイ2の開発時に、グループ企業であるシグネティクスの製品を優先していたはずです。

2636Nを用いた最初のヴィデオゲーム機と考えられているのは、VC-4000です。これはドイツ最初のヴィデオゲームメーカとして知られるインタートン社が1978年に発売したもので、CPUにもシグネティクス製の2650Aを使用していました。日本や北米ではまったく無名ながら、同地ではアタリVCSに迫るほどの好セールスを記録していた人気機種です。

VC-4000の「Monster-Man」(スクリーンショットClassic Consoles Centerより引用)。内容は「パックマン」を真似たものだが、背景はラインやボックスしか描けないうえ、スプライト枚数も限られているので、画面内にはたった1個のドットしか表示することができなかった。1個食べると次の1個が現れるという寸法である。迷路はグリッド機能で描いたもの。縦ラインと横ラインが交互に配置されるため、切れ目のない縦線が描けないという2636N特有の制約を見ることができる。なお得点の表示位置はどのゲームでも固定されている。

VC-4000はフィリップスからライセンスを受けて製造されたものだったようで、かつてVC-4000のゲームプログラマだったハンス・ハインツ・ビーリング氏は、BIOSとゲームソフトの大半がフィリップス製だったと証言しています。どうもヨーロッパの本家フィリップスは、オデッセイ2を展開する北米フィリップスとはまた別のヴィデオゲーム市場戦略を考えていたようです。

2636Nを最初に用いたとされる機種が、実はVC-4000以外にももうひとつあります。ラドフィン社の1292 PVS (Programable Video System) です。こちらも同じくドイツを中心に出回っていたものですが、VC-4000と内部構造がまったく同じであるにも関わらず、カートリッジスロットの形状が違うため、同じゲームソフトを使用することはできないようになっています。

1292 PVSの初出荷は、VC-4000より2年早い1976年だったといわれています。ラドフィンは香港を開発拠点とするイギリスの会社で、当時はポケット電卓を得意分野としており、ヴィデオゲーム分野にはようやく進出したばかりだったはずなので、にわかには信じがたい話です。しかしラドフィンの影響力がインタートン以上に強かったことは確からしく、1292にはヨーロッパ各地で20種類近い互換機が登場していました。

1979年にはドイツの『エレクトル』誌が、同じチップセットを用いたTVシュピールコンピュータ (ゲームコンピュータ) の自作方法を紹介しました。これを皮切りに、2636Nと2650によるゲームシステムは、オープンアーキテクチャの様相を呈しはじめます。翌年にも同路線の書籍が刊行されていますし、カートリッジスロットの仕様が異なる互換機も、その後さらに増えました。こうした2636N互換システムの隆盛は、VC-4000の製造が終了した1983年頃まで続いたようです。