Emerson Arcadia 2001

ヨーロッパにおける2636Nマシンの活況を受けて、シグネティクスは2636Nの上位チップ開発に着手しました。次世代チップは遅くとも1980年までには完成しており、2637Nという型番を授かっています (通称はUVI。Universal Video Interfaceの略でしょうか?)。

2637Nには2636Nと直接の互換性はないのですが、2636Nの基本設計を踏襲しつつ、さらに幅広い表現が可能になるよう工夫されています。まず背景用のグリッド機能は、パターンブロック機能へと進化し、正方形のキャラクタを自由にデザインして、背景画面に敷き詰めることができる仕組みになりました。また縦横方向のハードウエアスクロール機能も盛り込まれています。

しかし2637Nは、致命的な弱点をひとつ抱えていました。肝心のスプライト機能がまったく進歩していなかったのです。画面に5枚もキャラクタを表示すればちらつきが発生するなど、むしろ2636Nのほうがしっかりしていたとさえいえるくらいですから、スプライト時代の趨勢を明らかに見誤った設計だったというほかありません。

この不幸なチップを採用したゲーム機の代表が、エマーソンのアルカディア2001 (1982)でした。日本でもバンダイから発売されていたので、貧弱なスプライト機能がゲーム内容をどれほど寂しいものにしていたか、ご記憶のかたもいらっしゃるでしょう。背景キャラクタを無理矢理スプライトのように使おうとしているゲームの数々は、目に涙すら誘うものでした。

「エイリアンインベーダー」(1980頃)。フィリップス自らデザインしたと思われる初期の一本。スプライト機能で描画されるのはプレイヤ, UFO. ショットのみ。インベーダーやトーチカは、背景用のパターンを並べたもので、大量に配置できるのは良いものの、動作はスプライトのキャラクタに比べてはるかにぎこちなかった。アルカディア系システムのゲームはおしなべて、このぎこちなさと、少ないスプライト枚数に翻弄されている。
アルカディアはエマーソのオリジナル機ではなく、そのルーツを辿ると、1980年にドイツで発売されたパラジウム・テレシュピールというマシンに辿りつきます。開発元であるパラジウム社は、家庭用「ポン」のムーヴメントに乗ってヴィデオゲーム市場に参入してきた会社で、とりたてて技術的な蓄積があったわけではないのですが、そんな彼らが2637Nを使ったゲーム機をいち早く発売することができたのは、フィリップスがVC-4000のときと同様に、2637Nと2650をセットにしたゲームシステム一式を構築し、他社にライセンスしていたためです。パラジウムはその権利を最初に手に入れたに過ぎません。

パラジウム社に続いて、カナダのレジャーダイナミクス社も1980年ごろにラインセンスを獲得し、2637Nベースのゲーム機・レジャービジョンを売り出しました。エマーソンが目をつけたのはこの機種です。廉価家電の大手として知られていたエマーソンは、空前のヴィデオゲーム人気に沸くアメリカのヴィデオゲーム市場に参入する機会を覗っていました。彼らの眼には、アタリVCSよりは見栄えのする、しかしインテリヴィジョンよりは多少見劣りのするこのマシンが、両者の隙間を突くのに最適と見えたようです。エマーソンもまたフィリップスと契約し、1982年にレジャービジョンとまったく同じシステム・デザインのゲーム機を、アルカディア2001として売り出そうとしたのです。しかしそのリリースを目前にして、コレコビジョンやアタリ5200といった格段に高性能なマシンたちの発売がアナウンスされ、ヴィデオゲーム市場のトレンドは急変。エマーソンの出端は見事に挫かれました。

エマーソンはもうひとつ、アーケードのビッグタイトルを用意しそこなったという点でも、アタリやコレコに遅れを取っていました。ゲームセンタと理想郷をかけた「アルカディア」という名前が示すように、もともとエマーソンは「パックマン」や「ディフェンダー」をはじめとするアーケードの人気タイトルを続々投入する戦略を立てていました。しかしどうもライセンス交渉に失敗したらしく、そういったタイトルのほとんどは、北米では販売見送りになっています (ヨーロッパや日本ではタイトルを変えて一部流通)。アルカディアは「ジャンプバグ」「レッドタンク」「ジャングラー」など、他機種にはない妙に通向けな移植タイトルが多いことで知られるマシンですが、これらはいわばその穴埋めだったわけです。

発売前から死に態になってしまったエマーソンは、販売価格を当初予定の200ドルから一気に100ドルまで引き下げ、発売するやいなや在庫の一掃を急ぎました。エマーソンは翌1983年に、早くもアルカディアの権利を他社に売却してしまいます。

北米や日本では大失敗に終わったアルカディアの系譜は、しかしヨーロッパではそれなりに健闘しました。エマーソンと同じころ、オセアニアやヨーロッパに展開する大手ディストリビュータ・ハニメックスも、2637Nのゲームシステムに目を留めていました。アルカディア互換機は彼らの手でフランス、イギリス、ニュージーランドなどにももたらされています。ヨーロッパ各地では、その後もさまざまなメーカから多くの互換機が生み出されました (そして2636N互換機たちがそうだったように、またもカートリッジ規格が乱立することになります)。VC-4000のインタートンもまた、2737Nチップセットを使った次世代機を構想していたようですが、製品化をまたずにヴィデオゲーム市場から撤退しています。

先にも述べましたが、アルカディアなどの2637Nゲームシステムは、2636Nのそれと同じく、CPUにもシグネティクスの2650Aを用いていました。したがって、VC-4000などに慣れ親しんでいだプログラマにとって、2637Nゲームシステムはたいへん扱いやすいものだったのです。おかげでアルカディア互換機もやはりドイツで特に繁栄し、三種類もの互換機と、北米に倍する数のソフトが発売されることになりました。