STIC (AY-3-8900)

アタリが急速に弱体化することになった要因はいくつかあるのですが、もっとも大きかったのは、怒涛のごとくヴィデオゲーム市場に台頭してきた半導体メーカたちの存在でした。なかでもとりわけ巨大な勢力となったのがジェネラル・インストゥルメントです。彼らは1975年の終わり頃から、約5ドルという常識破りの価格で「ポン」型ゲームのチップを供給しはじめたのです。

アタリの家庭用「ポン」は、発売初年 (1975年) にトップセールスを記録しました。しかし翌年には、ジェネラル・インストゥルメントの優勢が明らかになります。圧倒的な低価格に魅せられた大小多数のメーカーが、彼らの「ポン」チップを組み込んだ競合製品を送り出し、これが実に市場の9割を占めるまでになったのです。アタリをはるかに上回る成功を手にし、一気にヴィデオゲームチップ最大手へと成長したジェネラル・インストゥルメントが、次世代の主役を約束されているマイクロプロセサ方式のゲーム機に関心を寄せないわけがありませんでした。ジェネラル・インストゥルメントは1977年までにGIMINI 8900というヴィデオゲーム用チップセットを完成させ、一般販売をスタートしています。そしてそのグラフィクスを担うAY-3-8900, 通称STIC (Standard Television Interface Chip) チップにも、やはりスプライト機能が用意されていました。

STICは同世代のスプライトチップのなかではもっとも素直な設計で、8x8ピクセルの単色キャラクタを、画面内に8枚まで表示することができます。背景についてはやはりビットマップを敬遠し、パターンブロック方式を採用。自由にデザインした「カード」(8x8ピクセル/2色) を240枚敷き詰めることで、比較的細やかな映像を作り出すことができました。また縦横方向のスクロールもサポートしています (前回述べたシグネティクスの2637Nも、STICとよく似た背景システムを採用していました。彼らはインテルに続いてジェネラル・インストゥルメントの技術を参考にしたのかもしれません)。

STICは全体的に、TIAや8244よりいくらか高機能なチップといえますが、そのぶん高価でもあったのでしょう。広く一般に販売したにも関わらず、GIMINI 8900を使ってヴィデオゲーム機を作ろうという会社は、わずか一社しか現れませんでした。とはいえその一社の存在は、ジェネラル・インストゥルメントを歓喜させるのに十分なほど巨大でした。ヴィデオゲーム市場参入の機会を虎視眈々と覗っていた玩具業界の最大手・マテルだったのです。マテルはGIMINI 8900の登場後すぐにこれに目をつけ、新鋭ゲーム機・インテレビジョンの開発をスタートしました。しかしその直後にアタリVCSが発売されたため、マテルは競合を嫌って一度開発を断念しています。ようやく発売に漕ぎ着けたのは、1980年に入ってからでした。

メジャーリーグ・ベースボール」(1980)。発売当初のインテレビジョンは、スプライト枚数を多く必要とするスポーツゲームを主戦力としていた。アタリVCSが苦手とする (と思われていた) この分野で差別化を図ろうとしていたわけである。「メジャーリーグ・ベースボール」はなかでも最大の成功を収めた一本で、1983年までにミリオンヒットを達成している。

「スペース・インベーダー」によるVCSの巻き返しは、マテルにとって予想外の事態だったことでしょう。マテルはこの後、スプライトの数ではなく、ちらつきを起こさせないことでVCSに対する優位を強調しようとしました。VCS用ゲームの多くは、スプライト枚数を増加させるために、「フリッカー」(スプライトを点滅させることによって擬似的に表示枚数を倍加する) というテクニックを用いていたのですが、マテルはこれを禁じ手としたのです。

さて、このあとスプライトチップ開発の舞台は、ヴィデオゲーム機からパソコンに移っていきます。次回はその時代の三大巨頭―――アタリ400/800, TI-99/4, コモドール64―――の軌跡を紹介し、最終回としたいと思います。

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