VDP (TMS9918)

半導体大手テキサス・インストゥルメンツもまた、アタリ400/800とほぼ同時期に、よく似たコンセプトでホームコンピュータを開発していました。その名をTI-99/4といいます。玩具大手であるミルトン・ブラッドレイと共同で手がけただけあって、ゲームマシンとしての性格はアタリ400/800に劣らず濃いものでした。このパソコンについてはご存知なくとも、そのヴィデオチップ・TMS9918, 通称VDP (Video Display Processor) の世話になった人は多いでしょう。のちにMSXからアミューズメント機まで幅広く採用され、スプライト技術のスタンダード化に大きく貢献したグラフィクスチップです。

TI-99/4は開発コンセプトだけでなく、価格でも投入時期でもアタリ400/800と真正面から衝突しました。しかし緒戦では大敗を喫することになります。これは主にマーケティング戦略の失敗によるものでした。アタリ400/800と違って家庭用テレビで使うことができず、またゲームライブラリの充実ぶりでも水を開けられてしまったのです。しかし表現力ではアタリ400/800にひけをとるものではありませんでした。

TI-99/4のVDPも、ANTICと同じようにサブCPU的な役割を担うチップです。もっともANTICと違って、スプライトは自前で処理していました。VDPは画面内に32枚までのスプライト (16x16/単色) を表示できる構造になっています。ただしよく知られているように、横方向に5枚以上ならべるとちらつきが発生します。

背景はSTICとよく似たパターンブロック方式ですが、性能はその3倍強。768枚 (8x8ピクセル/2色, 256種から選択) を配置することで、ビットマップ並に細やかな描画を可能にしています。ビットマップまであともう一歩だということは、開発者たちも認識していたのでしょう。2年後に登場したVDPの改良タイプ・TMS9918Aには、擬似的なビットマップモード (MSXでいうところのSCREEN 2) が追加されました。

VDPの開発はTI-99/4そのものより先行しており、1977年には始まっていました。関連特許を見ると、そのスプライト技術はアタリやインテルより自由度の高い (しかもビデオ出力できる) ものであるということが主張されています。第一回の冒頭で、スプライトという用語を考案したのはテキサス・インストゥルメンツの開発チームだったと述べましたが、彼らがわざわざアタリやインテルと違う呼称を持ち出してきたのは「あたかも小妖精が舞うかのように」手軽にキャラクタ表示位置を変えることができるということを誇示するためだったように見受けられます。従来の単なる「移動オブジェクト」とは一味違うぞ、というわけですね。

このスプライトの自由度は、スプライト座標設定用のメモリ、いわゆるスプライト属性テーブルを導入した効果でした。このような機能をチップ自体に組み込んだのは、テキサス・インストゥルメンツが最初だったようです。VDPのスプライトアーキテクチャを手がけたカール・グッタグ氏は、「ファミコンのスプライト技術はTMS9918の模倣だ」と述べているのですが、これはファミコンのヴィデオチップ・PPUにも同様の座標システムがあり、さらに似たような表示枚数制限 (横方向は8枚まで) があったためだと思います。そうでなければ、そこまで断言できるものではないでしょう。まあいずれにせよ、これは彼の思い違いです。PPUが下敷きにしたのは、よく知られているようにナムコのアーケード技術でした。そして「ギャラクシアン」以降のナムコ基板もまた、スプライト座標設定専用のメモリを持っていたのです。こちらのルーツは、さらに「アタリ・フットボール」の頃にまで遡ると見られますが、グッタグ氏もさすがにアーケードにまでは目が届かなかったのかもしれません。