第二次世界大戦が育んだヴィデオゲーム技術

この特許はレーダー技術と深い関わりがあります (詳細は後日改めて)。そういえば「テニス・フォー・ツー」のウィリアム・ヒギンボザム氏も、もとはMIT放射線研究所でレーダー研究に従事していた人物でしたね。オディッセイの生みの親であるラルフ・ベア氏もまた、軍事レーダーの開発に携わっていた時期がありました。パイオニア三人が三人ともレーダーを熟知した人間だったなんて、これはもう偶然では済まされないでしょう。レーダースクリーンは、映像のなかに仮想空間を描き出し、それを外部からの入力に応じてダイレクトに変化させる―――つまり今日いうところのインタラクティヴ映像を実現した最初の機器です。それに精通していたからこそ、彼らは映像ゲームの着想に、誰よりも早く辿り着いたのかもしれません。

レーダー技術は第二次大戦中に飛躍的な発展を遂げた分野ですが、その当時の特筆すべき成果のひとつとしてPPI (Plan Position Indicator) 方式の成熟が挙げられます。PPIとは、それまで波形しか表示できなかったレーダースクリーンに、二次元マップを映し出すことを可能にしたシステムです。この技術が発展しなければ、画面に点や線を自由に描くことはできず、したがって「テニス・フォー・ツー」も「スペースウォー!」も、さらには後のヴェクタースキャンの傑作たちも生まれなかったことになります。

PPI方式は1940年にドイツではじめて実用化されました。当時ドイツとならぶレーダー大国だったイギリスもすぐこれに追随、間もなくそこからアメリカにももたらされています。アメリカではRCAが、レーダーの初期開発にきわめて大きな役割を果たしました。RCAは戦後家庭用テレビ受像機のトップブランドとして君臨するわけですが、いっぽうでレーダースクリーンの精度も上げ続け、こちらはやがてコンピュータのモニタ出力としても活用されるようになります。「スペースウォー!」を生み出したPDP-1のモニタも、RCAのレーダー用CRT (16ADP7) を転用したものです。黎明期のヴィデオゲームはどれも、どこかでレーダー技術に繋がっていたわけです。