Ferrantiとパーソナルコンピュータ

パーソナルコンピュータ時代の到来とともに、イギリスのコンピュータ産業が勢いを取り戻すと、今度は半導体メーカとしてフェランティの名前を見ることができるようになります。

フェランティはイギリスでもっとも早くから半導体に注力していた会社でもありました。事業は1953年にスタートし、以後アメリカから積極的に技術を吸収し続けました (だからマンチェスタ大学では、ああも早くトランジスタ・コンピュータを開発することができたわけです)。1960年代には本場アメリカ勢を凌ぐ技術水準にまで達しています。

しかしコストパフォーマンスの面では、アメリカ大手にはまったく歯が立ちませんでした。市場のニッチを開拓する必要を痛感したフェランティは、顧客のニーズに応じて柔軟機敏にカスタムチップを製造するという方向性を模索しはじめます。そして1970年代初頭、世界ではじめてゲートアレイ技術の実用化に漕ぎ着けました。

それから10年ほどを経て、個性的なパーソナルコンピュータがイギリスから次々生まれることになります。フェランティのゲートアレイに対する積極投資が、ここにきてイギリスをパーソナルコンピュータ産業の最前線に押し出す起爆剤となったのです。

パソコンにおけるゲートアレイの有用性を誰よりも早く見ぬいたのは、やがてイギリスのPC市場において主役を演じることになるシンクレアでした。常識はずれの低価格で世界を驚かせたシンクレアのZX80/ZX81やZXスペクトラムは、まさにフェランティ製ゲートアレイ (ULA) なくしては存在しえないものだったのです。これに始まる同時代のイギリス製マシンたちはどれもこれも、映像処理の要としてゲートアレイを有効活用しています。

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