メルツェルの象棋さし

バベッジが「ゲームをする機械」にこだわるようになった背景には、当時さかんに製造されていたオートマトンと呼ばれる精巧な自動人形たちの存在があります。あたかも生命あるもののように振舞う人形たちの姿は、少年期のバベッジに終生忘れえぬほどのインパクトを与えました。のちに彼は当時お気に入りだった銀製バレエダンサー人形をオークションで買い求め、ひとかたならぬ愛情を注いだほどです。

学生時代のバベッジは、発明の才を磨く一方で、数学にも熱心に取り組んでいます。やがてケンブリッジの名門トリニティ・カレッジに入学し、卒業後は先進的な数学者として頭角を表しはじめました。その頃に彼は、ふとしたきっかけで再びあるオートマトンに強い興味を抱くことになります。それは完全自動でチェスをプレイする「ターク」と呼ばれる人形でした。

「ターク」―――トルコ人の姿を模していたためそう渾名されたこの人形は、ハンガリーの発明家ウォルフガング・フォン・ケンペレン男爵が生み出した、世紀の問題作でした。ミステリ通のかたには「メルツェルの象棋さし」と述べたほうが分かりやすいでしょう。エドガー・アラン・ポオが正体解明に知力を尽くしたことで知られるこのオートマトンは、ベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなど、当時の一級の頭脳たちを次々と打ち破り、18世紀後半から19世前半にかけて大変な物議を醸していました。青年バベッジもまた、これに興味を惹かれたひとりだったのです。



ケンペレン生没200年を記念して製作された「ターク」のレプリカ。写真は2004年4月12日付のChessbase Newsより引用。

「ターク」は本当のところオートマトンではありません。じつは内部に隠れた人間によって操作される、見せかけだけのチェス人形だったのです。奇術の専門家にいわせれば、大型装置を使った奇術の元祖にあたるのがこの「ターク」らしいのですが、複雑な機械仕掛けで巧妙にカムフラージュされたケンペレンのトリックは、初公開以来50年を経ても完全に見破られることはありませんでした。

後世、詐欺師のように語られもしたケンペレンですが、彼自身は問題の人形が「自動チェス装置」だなどとは一度も述べていません。そもそもこれは、オーストリア皇帝マリア・テレジアに娯楽として供するために作られた見世物だったのです。彼の言葉でいえば「ありふれたメカニズムによるイリュージョン」に過ぎないものでした。しかしありふれているはずのそのメカニズムが、誰にも解明できなかったわけです。

「ターク」は1769年に、オーストリア宮廷一の腕利きチェスプレイヤをねじ伏せて、華々しいデビューを飾りました。これが大きな評判を呼び、以降ケンペレンは人形とともにヨーロッパ諸国を巡業することになります。人形は行く先ごとに評判を呼び、とくにパリやロンドンで大きな話題となりました。

この人形と接した人は誰もが、どこかに人間が潜んでいるに違いないと疑ったわけですが、ケンペレンはそう主張する人々に「ターク」の中身を調べさせ、逆に人の潜む余地などないことを確認させています。そこまで見せても仕掛けが分からないというのですから並大抵のトリックではありません。見物人たちの多くは、人形が思考していると信じざるを得ませんでした。

ならばその仕組みはいかに? 純然たる機械の仕業と信じるには、この人形はあまりに人間的すぎました。なにしろチェスの対戦相手になるだけでなく、人々の語る言葉まで理解し、チェス盤を指差して質問に答えたりもしたのです。見物人のなかには、悪霊の仕業に違いないと口にする人さえいる始末でした。いずれにせよ、この時点で科学的究明の動きはまだ見られません。

ケンペレンの死後、「ターク」はメトロノームの発明者として知られるドイツ人、ヨハン・メルツェルに売り渡されます。彼は1818年から一年あまり、イギリスで巡業を行いました。「ターク」の謎は、産業革命たけなわのこの国で、「そもそも機械がチェスをプレイすることは原理的に可能なのか」という、より抽象的な懐疑へと結びつくことになります。この疑問を誰よりも真摯に追及したのがバベッジでした。