Tit-Tat-To

「ターク」の虚実は、バベッジにとってそれほど切実な問題ではありませんでした。彼はそれよりもむしろ、自分なら実際に自動チェス人形を作ることができるかどうかという問題に興味を持ちます。バベッジが「ターク」に影響を受けてゲーム研究を始めたことを示す直接的な証拠は残されていないのですが、思考ゲームに関する彼の最初のエッセイが「ターク」との対戦から一年以内に記されているのは、たぶん偶然ではないでしょう。このエッセイ以前には、思考ゲームを数学的に攻略しようという試み自体存在しないも同然でした。となると、「ターク」の影響が小さかったとは考えにくいのです。

エッセイは未発表のもので、研究対象としてチェスではなく、子供たちの間で遊ばれている名もないゲームを取り上げていました。のちに「チク・タク・ツー」とか「ノーツ・アンド・クロシズ」といった名前で知られることになる、いわゆる三目ならべ (○×ゲーム) です。ゲーム研究をはじめてすぐ、彼はチェスが研究材料としては複雑すぎるということに気付き、まずとことん単純なゲームを材料にして、機械が人間の対戦相手になりうることを検証しようと考えたのです。そうして探し当てた、もっとも単純な思考ゲームがこれでした。

バベッジのゲーム研究は、ここで一旦中断します。彼の考案した階差機関の開発に対して、国家から資金援助が行われることになり、その完成が最優先されるようになったためです。階差機関はメカニズム面ではゲームプレイとなんら接点を持たないプロジェクトだったわけですが、彼にいわせればこれもまた「人間のもっとも低級な知的活動を代わりに行う機械」でした。この自動計算機への取り組みが、やがてゲームをプレイする機械とも接点を持つようになっていくことを、このとき彼が予見していたかどうかは、定かではありません。

しかし階差機関の開発にはさまざまなトラブルが付きまとい、計画は思うように進展しませんでした。開発は1820年代前半に始まりますが、1830年代前半には金銭問題のもつれから製作中断を余儀なくされ、1840年代前半にはついに政府からの資金援助も打ち切られることになります。ここで計画は完全に破綻しました。