Leonardo Torres y Quevedo

いっぽう20世紀初頭には、解析機関の具現化にチャレンジする人々も、何人か現れていました。バベッジの実子である退役軍人ヘンリーや、アイルランドの会計士ルドゲイトなどです。そのなかでただ一人、バベッジのゲーム研究にもスポットを当てたのが、スペインの発明家レオナルド・トレス・イ・ケヴェドでした。彼は解析機関に挑む前に、世界初の自動チェスマシンを完成させています。

日本では名前さえほとんど知られていないケヴェドですが、ヨーロッパではなかなかの著名人で、自動計算機の発明者としてだけでなく、飛行船設計の第一人者、無線コントロール技術の開拓者、ケーブルカー普及の功労者…と、さまざまな功績で名を残しています (彼の設計したケーブルカーは今日もナイアガラの滝にて現役稼動中)。バベッジがチク・タクー・ツー・マシンに挫折して間もないころの1852年に生まれ、少年期をスペイン北端のサンタンデルで過ごした彼は、科学と数学に長けたシビルエンジニアである父の影響を受け、やがて自らも同じ道を志すようになります。24歳までは各地の大学で研究に勤しみ、この間フランス、スイス、イタリアを巡って、科学技術について見聞を深めました。スペインは産業革命に立ち遅れていたため、各国での刺激は大きかったらしく、急速な発展を遂げようとしていた電気工学には特に驚かされています。

スペインに帰った彼は、さっそく計算機の研究に着手します。1885年には最初のアナログ式計算機を組み上げました。3項式の根を求めることができたこの装置は、スペイン科学史上に残る快挙であるとして大いに賞賛されたといいます。彼はそのあと無線コントロール技術の研究を通して、電気とリレースイッチによる機械制御に熟達し、やがてそれを応用したデジタル計算機の構想を抱くようになります。このときケヴェドは、必然的にバベッジの業績を再評価することになりました。そしてバベッジの時代にはまだ定着していなかった電気工学という新しいテクノロジを用いて、彼の追い求めた「思考する機械」の夢を継ぐことに熱意を燃やすようになるのです。

ケヴェドが手始めにゲームマシンを開発したのも、彼がバベッジに強く共鳴していたがゆえでしょう。前回述べたように、それは解析機関のミニチュア的性質を備えるのみならず、もっとも簡潔かつ魅惑的に「思考」能力をデモンストレーションできる機械でもあったのですから。もちろん実用性に欠けるという欠点はあるわけですが、ケヴェドはさいわいにして、バベッジのように採算性に悩まされるような立場にはありませんでした。当時彼はマドリード王立精密科学アカデミの院長という役職に就いており、最先端電気工学の可能性を、思う存分追求することができたのです。そして1912年、ついにアヘドレシスタ (スペイン語で「チェスプレイヤ」の意) というゲームマシンが完成することになります。