Ajedrecista

   

Ajedrecista (初代). 実物は現在もマドリード高速道路・運河・港湾エンジニア協会に可動状態で保存されているという。写真は "From Analytical Engine to Electronic Digital Computer: The Contributions of Ludgate, Torres, and Bush" (Brian Randell, 1982) [PDF]より引用。
アヘドレシスタは左の写真に見られる通り、部品を剥き出しにした武骨なマシンです。メカニズムの詳細はよく分かっていませんが、リレースイッチをベースにしたデジタルな設計だったと考えられており、駒の位置を電気センサーで感知し、機械のアームで駒を移動させることができたそうです。また人間がどこに駒を置こうと必ず対応することができ、ルール違反があれば警告を発するなど、今日いうところのインタラクティヴィティを感じさせる仕掛けになっていました。

チェスプレイヤと名乗ってはいるものの、これもまだ完全にチェスをプレイできるものではありません。ルークとキングだけになった最終局面に対応しているのみです。この状態だとアヘドレシスタにただ追い詰められるばかりで、人間のプレイヤはいずれ必ず負けることになるため、ゲームとして成立しているとは言いがたいかもしれません (何手詰めにできるか競う、別の楽しみかたはありますが)。しかしそれでもチェスのいち局面をプレイしていることは確かです。

思考アルゴリズムバベッジのそれとはまったく異なっています。というより、単にキングを逃げさせるだけなので、ミニマックス法を持ち出すまでもなかったというのが正解でしょう。しかしいかに単純とはいえ、それは機械が先読みしていると感じさせるのに十分なものでした。もっともケヴェドは当時、それはただそう感じさせるだけのものであるということを、はっきり注意しています。「思考が本当に必要とされるのはどういう範囲内でなのか、もっとうまく定義する必要がある。オートマトンには一般に思考に分類される多くのことができるが、それも何らかのルールに基づいて、特定の状況で特定のことをやっているだけだ」

アヘドレシスタは1914年のフランス・リヨン万博にも出展され、喝采を浴びました。しかし残念ながら、当時の興奮がいかほどであったのかを今日窺い知ることは困難です。万博開催から数ヶ月後に第一次世界大戦が勃発し、ドイツがフランスに宣戦を布告。はたしてこの万博が会期終了まで無事開催されていたのかどうかさえ、今ではよく分からない始末です。

ケヴェドはその後も解析機関の研究を続け、汎用型でこそないものの、さまざまなリレー式計算機を開発しています。1980年に彼の業績を発掘したブライアン・ランデルは、もし需要があったなら、彼はリレーを使って完全な解析機関を実現していただろうと評価しています。幸か不幸か、スペインは第一次世界大戦の戦火に呑み込まれませんでした。したがって弾道計算や風洞実験に緊急を要するような状況も生まれなかったのです。「第二次世界大戦への兵器の実験場」と呼ばれたスペイン内乱が、彼の死去する直前に始まっているのは、歴史のアイロニといえるかもしれません。

二度の大戦と言語の壁に阻まれて、ケヴェドの功績はやがてスペイン以外の国では忘れ去られてしまうことになります。