ホビー・プログラミングの曙

ストレイチイはもともと通信工学に精通した技術者であり、戦時中は真空管の研究に携わっていました。それが縁でアナログコンピュータに興味を持ったりもしていたのですが、戦後は一線を退いて教職に就き、コンピュータとは無縁の生活を送っていました。彼に再び火を点けたのはウィーナの「サイバネティクス」です。これを読んで以来デジタルコンピュータへの興味が抑えきれなくなり、彼はつてを辿ってどうにかコンピュータに触れる機会を掴もうと画策しました。ついに念願叶ったのは1951年初旬頃で、以後彼は空き時間を使ってACE試作機でプログラミングすることを許されるようになったのです。

ストレイチイがACE試作機で感銘を受けたのは、なんといってもデイヴィスのチク・タク・ツー・プログラムでした。ぜひ自分でも同じようなものを作ってみたいという情熱に駆られて、ストレイチイのプログラミングスキルは急速に熟達することになります。そして1951年5月からドラフト (チェッカー) というチク・タク・ツーより数段複雑なゲームのプログラミングを開始しました。しかしこのコーディングはなかなかうまくいかず、動作こそしたものの、試行錯誤するうちにハードウェアの仕様が変更されるという災難にも見舞われ、結局プログラム全体が使いものにならなくなってしまいます。いずれにしても局面評価の方法に納得いっていなかった彼は、いったん開発を断念します。