ケヴェドを超えて

それから少し遅れて、マンチェスタ大学でもゲームプログラミングへの挑戦が始まりました。マンチェスタ大学のマークIは、実用化こそBINACやEDSACに少し遅れを取ったものの、試作機 (Baby) まで含めれば世界で最初に動作した現代型コンピュータです。同大学で自動チェス研究に勤しんでいたチューリングらハンド・シミュレーション一派は、じつはこの試作機の段階から、自分たちのアルゴリズムをプログラムする機会を窺っていたのですが、マークI開発チームのトム・キルバーンに反対され、断念せざるを得なくなっていました。どうもキルバーンには貴重な稼動時間の無駄遣いと判断されたようです。

そういうわけで、実用型マークIの完成後、ゲームプログラミングに挑戦する許可を最初に与えられたのは、ハンド・シミュレーションとは無関係な人間になりました。ディートリヒ・プリンツというフェランティ社 (マークIのスポンサ) から出向してきた研究者です。ケヴェドのアヘドレシスタに詳しかったというプリンツは、汎用コンピュータでさらに高度なアルゴリズムができるかどうかを試そうとします。そしてチューリングの記したプログラマーズハンドブックを頼りにプログラミングに取り組みました。彼のプログラムは1951年11月に完成しましたが、それはニ手詰めのプロブレムを解くソフトで、ゲームをプレイする段階には到達していません。解決には15分を要したといいますが、プリンツは結果に満足し、少し改良を施したあとチェス研究から離れています。