Pyramid System

当時アンペックスは、趣味の研究開発に寛容なハイテク企業として、若手エンジニアたちの人気を集めていました。1970年頃には数千人規模の研究員を抱えていたといいますが、そのなかにはブッシュネル氏らだけでなく、やがてパーソナルコンピュータ時代の革命児となる、別の人物の姿もありました。SOLやオズボーンIの開発者として知られるリー・フェルゼンシュタイン氏です。彼が配属されたのは特殊製品部門でした。軍事用のテレビ組み込み製品や、アポロ計画専用テレビなど、ワン・アンド・オンリーな製品を開発するために、150人ほどの精鋭メンバーを集めて編成された、やや風変わりなセクションです。

フェルゼンシュタイン氏は1970年に、「ピラミッド・システム」と呼ばれる、コンピュータをベースにしたオーディオ/ビジュアル教育機器の開発を任されることになります (彼が本格的にコンピュータ言語を学んだのは、このプロジェクトのためでした)。これは12ボタンのキーパッド端末と8トラックのテープレコーダ (最大40倍速) から成るクイズ方式の双方向システムで、選択にあわせて音や画像を取り出すことができるという、かなりゲーム機的な性質の強いものだったそうです。ソニーの試作テレビゲームを思わせるような仕組みですが、「ピラミッド・システム」ではNOVAシリーズのミニコンピュータがサーバー的な役割を果たしており、データは各端末にバッファ転送されるようになっていたため、一台を複数人数で利用することができました。試作機が3台ほど製造されたようですが、制御信号の音質が安定せず、商品化には至っていません。しかしこうしたビデオゲームの先駆的試行がすでにアンペックスで行われていたという事実は、注目に値するでしょう。

プロジェクト凍結から数年後のある日、フェルゼンシュタイン氏はふとその後の経過が気になり、久々に「ピラミッド・システム」の電源を入れてみました。そして音質の問題がいつの間にか解決されていることに気付きます。この隠れた貢献を行ったのは、誰あろう、アラン・アルコン氏でした。アルコン氏はまだ研修を終えたか終えないかの新人エンジニアではありましたが、やはり特殊製品部門の一員で、このころ「ヴィデオファイル」というデジタル画像データベースシステムをサポートしていたといいます。「ヴィデオファイル」はヴィデオテープに128キロバイトの画像情報を連続格納し、SEL-810Aというミニコンピュータを使って編集や検索を行うことができるというもので、警察の指紋照合などに活用されたことで知られています。原理的には「ピラミッド・システム」と似たものだったため、のちに「ピラミッド・システム」の成果はこちらに移行されることになりました。フェルゼンシュタイン氏は移植作業に数週間従事したあと、1972年にアンペックスを辞しています。

「この頃アンペックスは基本的に破綻しており、誰も彼もが解雇された」彼はそう述べています。具体的に何が起こっていたのかはよく分かりませんが、1972年から1973年にかけて、アンペックスからきわめて多くの人材が流出していることは確かです。ようするにアタリという会社は、没落しゆくアンペックスから巧みに人材を拾いあげることによって、基盤を築いていたわけです。その意味で、アタリはまさにヴィデオテクノロジに支えられた企業だったといえるでしょう。

[参考]
Rod O'Connor: My Life with Computers
An Interview with Lee Felsenstein