「ブロックアウト」誕生の経緯

「ブロックアウト」といえば、テクノスジャパンとしては異色の3D「テトリス」としてご記憶のかたも多いと思います。これはカリフォルニア・ドリームズという海外メーカーによる作品の移植なわけですが、名前からしアメリカの会社に違いないと思い込んでいたら、そうではなくてポーランドの会社らしいという情報を、コメント欄にてこうやまさんから戴いて驚きました。

英語圏の情報サイトでさえ普通にカリフォルニアの会社と書いていたりするので、にわかには信じ難かったのですが、改めて調べてみると、さらなるオリジナルの制作元として、PZ Karen (現Karen Notebook) の名前が浮かび上がってきました。PZ Karenはかつてポーランドのアタリ正規ディーラとして一時代を築き、ポーランドを名うてのアタリ大国に発展させたことで知られる企業ですから、ポーランド原産というのはどうも間違いなさそうです。「ブロックアウト」はポーランドのゲーム産業が生んだはじめてのインターナショナル・ヒットということになるわけですね。

PZ Karenの名前はしかし、アーケード版には残されていません。アーケード版の時点でオリジナル版の表記はカリフォルニア・ドリームズに一本化されるわけですが、これは結局何者なのかというと、同じくポーランドのパソコンディーラ兼ソフトウェア会社である、ロジカルデザインワークス (LDW) 社の一部門です。LDWは当初、米ストラテジック・シミュレーション (SSI) 社の下請けとして、主にIBM-PCへの移植作業に従事したりしていたようです。しかし1987年頃からオリジナルソフトウェアの開発およびその国際流通にも着手。このときにカリフォルニア・ドリームズというゲーム専門ブランドが生まれました。初期の主な対象機種はコモドール64/アミーガ/IBM-PCで、「ヴェガス・ギャンブラー」や「クラブ・バックギャモン」を皮切りに、スタンダードなカード/ボードゲームをいくつか送り出しています。

こういった作品やビジネスソフトのリリースによってある程度流通基盤が整ったところに、同じポーランドのPZ Karenから「ブロックアウト」がもたらされたわけです。PZ Karenも優れたソフトウェア開発能力を持ち、やはり早くから西側にソフトを提供していたといいますが、LDWのように国際マーケティング能力を磨いてはいませんでした。この自信作を世界展開するためには、LDWの流通網を借りる必要があったのでしょう。

ブロックアウト」は1989年に、まずIBM-PCで登場し、次いでアミーガとコモドール64にも矢継ぎ早に移植されました。そしてそれからあまり間を置かずに、アーケード版が続きます。ライセンスものにあまり熱心ではなかったテクノスジャパンが、かくも早い段階でアクションを起こしていることには驚かされます。テクノスジャパンはこれより数年前、欧米における「ダブルドラゴン」の一大ヒットを契機にアメリカ法人を設立しており、いまだアーケード不況を引きずるアメリカにおいて、もっとも信頼される業務用ヴィデオゲームメーカのひとつとなっていました。したがって事業拡張の意欲も高まっていたでしょうし、LDWの眼にも真っ先にアプローチをかけるべき相手と映ったことでしょう。

ブロックアウト」は結局テクノスの思惑ほどヒットせず、PZ Kazanもこのあと「ストリートロッド」「ストリートロッド2」(Amiga/IBM-PC) の2作をリリースしたきり、コンピュータ/ヴィデオゲーム史から姿を消していきます。しかしこれらはアコレイドの「テストドライヴ」と並ぶカスタマイズ主体レースゲームの先駆として、高い評価を得ています。