MSX時代のコナミUK広報マネージャ インタビュー (the MSX Games Box)

前々回ご紹介したように、ZXスペクトラムの世界には1980年代から1990年代にかけて無数のアーケード移植作品が登場していたわけですが、オリジナルの開発元が自社ブランドで移植を手がけるようなケースはほとんどありませんでした。稀有な例外といえるのはアタリソフト (アタリ分裂前に3年だけ存在したソフト専門子会社) とコナミUKだけです。当時の日本のメーカーとしては非常に珍しいことに、コナミはこのヨーロッパ支社にも独自のパソコン向け移植版を制作させており、スペクトラムだけでなくアムストラドCPCやコモドール64といった日本で馴染みのない機種にも製品を送り出していました (ただし開発自体はほとんど外部のソフトハウスに委託していたようです)。

コナミUK発のソフトはお世辞にも完成度が高いとはいえないものばかりで、頑張っているものでもせいぜい平均点クラス。日本から送り込まれてくる洗練されたMSXソフトたちとは、完成度の面で雲泥の差がありました。たぶん日本サイドではほとんど製品内容のチェックを行っていなかったか、あるいはヨーロッパ向け製品は低レベルでも構わないと見ていたのでしょう。いずれにせよコナミUK製品の商業的成果はそれほど上がらなかったとみえ、コモドール64以外の機種での製品化は1986年から1987年までのごく短い期間で終了してしまっています。当時コナミUKは結局何をやりたかったのか、具体的なところはよく分かっていないのですが、そのあたりの鍵を握るであろう当時のPRマネージャ、デニス・ハミングス氏がMSX Resource Centerのインタビュに応じました。興味深い箇所だけ掻い摘んで、以下にご紹介しましょう。


Q: Latok
なぜ (訳注:ヨーロッパの) コナミは1990年にMSXシーンから離れたのでしょうか? 当時MSXはまだ商業的にそれほど衰退していなかったし、ちょっと早過ぎたのではないかと思うんです。NESだけが原因なんでしょうか?

A: Dennis
システムが崩壊するであろうことと、NESがそろそろ台頭してくるであろうことを、コナミは全社的に予期していたように思います。当時私は任天堂やオーシャン・ソフトウェアとも密接な関わりを持つようになっていました!


Q: Ivan
コナミUKの開発したMSX版「グリーンベレー」を見て、日本のコナミは何て言ってましたが?

A: Dennis
$%£&**(())++~~ (とかまあそんなこと)。私もまったく同じことを言いました。

ヨーロッパでのみ発売されたMSX版「グリーンベレー」は、コナミ製品としては異例の低クオリティで大いにファンを失望させました。そのプレイアビリティはZXスペクトラム版にも大きく劣ります。インタビューの後半では開発当時の混乱ぶりについての言及もあります。


Q: Ivan
コナミのヨーロッパ本部はなぜUKに置かれたのかご存知ですか?

A: Dennis
当時すでにアーケードの販売およびディストリビューションが整備されていて、在庫の管理場所もありました。当時としては合理的なやり方だったのです。

コナミUKの設立は1984年6月。当然ながらアーケードが主力製品だった時期です。


Q: Grauw
著作権侵害は当時どれくらい問題視されたのでしょう。今日と比べるとどうですか? コナミMSXでの開発を停止したのはその影響が大きかったのでしょうか (コナミはかなり長い間提供し続けてくれましたが、「SDスナッチャー」「クォース」「メタルギア」のようなもっとも優美な作品を出しませんでした)。それとも他の問題、たとえばコンシューマ機やIBM互換機へのトレンドの移り変わりとか、そちらのほうが大きかったのでしょうか?

A: Dennis
コナミの首脳たちはUKを訪問したとき、我々のカートリッジは「クラック不能」だ! と語っていたのです。私がオランダで入手した「沙羅曼蛇」のコピー入りディスクを送ったとき、彼らがどれほど驚いたか考えてみてください! (返信はありませんでした………) 著作権侵害は当時まったく問題視されませんでした。そういうことをするのは事業家ではなく愛好家だったわけですから。あるオランダの人は、道端で「僕ソフトウェア持ってないんだ」と叫べば、フロッピーディスクの山に埋もれることになると言っていました。新しいコンシューマ機とPCにトレンドが移り始めたことが、移行の原因です。

著作権侵害が問題視されていなかったというのは、定説とは異なる話でなかなか興味深い。たしかにコナミUKは1991年を境にMSXだけでなくコモドール64やアミーガにもほとんど梃入れしなくなっているので、ひとくちに海賊版の存在だけが妨げになっていたとは考えにくいかもしれません。次の答えが真実なら、ヨーロッパにおけるコナミMSXリリースは、かなり早い段階でピークに達していたことにもなるわけですし。


Q: Maggoo
ヨーロッパでいちばん売れたコナミMSXタイトルは何でしょうか?

A: Dennis
「ネメシス」(グラディウス) だったのではないでしょうか? 公式にそういう話があったわけではありませんが。


Q: Dhau
スペクトラムとの競争激化をコナミはどのように見ていたのでしょうか?

A: Dennis
MSXのスタイルと外観は、スペクトラムとは異なるものでした。テープから立ち上げなければならないスペクトラムと、競合するところなどないですよ?

実際のところヨーロッパではMSXにもテープリリースが多数あったわけですが、それでも広報レベルではMSX優位と認識していたということなのでしょうか。ハミングス氏はカートリッジ形態の優位性をかなり信じておられたらしく、コナミはカートリッジ技術でコモドール64に攻め入っていくのが合理的なように思えた、とも述べています。