【書評】ゲーム音楽史/岩崎祐之助

【臨時更新】

総評としては、名前負けと事実誤認の多さが気になる一冊。

ナムコ黄金時代やファミコン全盛期からゲーム音楽に親しみ続けてきた、昔ながらのゲーム音楽リスナーは、私も含めて数多くいます。そしてこの世代のリスナーの多くには、ゲーム音楽の聴き方について、ある根深いバイアスがかかっています。それは「ゲーム音楽は実在する楽器の音に近づける努力が大事で、いかにリアルな音を出しているかが楽曲の価値に大きく関わっている」とする、音色中心主義(ないしリアリズム信仰)ともいえる態度です。少なくとも90年代半ばまで、それはほとんど自明の前提のように作用していました。こういった認識がバイアスであると自覚しているリスナーは当時とても少なく、今日に至ってもまだ多くはないでしょう。

リスナーの多くは、誰から強制されたわけでもないのに、この考え方を自然なものとして受け入れていました。社会学でいうところの信憑構造がそこに生まれていたといえます。『ゲーム音楽史』の著者も、こうした信憑構造にどっぷり浸かった世代の方と見受けられます。そしてその自覚もないまま、リアル礼賛を価値の主軸に置いています。彼は一貫して「ハードウェアの制限と、そこを克服してリアルに聴かせる工夫」について語りますが、そもそも何故リアルな音が必要とされたのか、何故ゲーム音楽が「普通の音楽」に近づいていかなければならなかったのか、そのあたりの考察が一切ないため、音楽史というより、彼の主観によるディスクレビュー本になってしまっています。

まあその点については、タイトルの付け方が悪かっただけ……と言ってしまってもいいのかもしれませんが、しかしより残念なことに、本書には事実誤認や前提条件の拙さも多く含まれています。以下ざっと列挙してみましょう。

  • P8 「ドラゴンクエスト」をゲーム音楽の起点のひとつとする理由として150万本売れたことが挙げられているが、150万本は当時のファミコンにおいて目立って多い数字ではない。http://matome.naver.jp/odai/2135604180733823201 初期のゲーム音楽に新風をもたらした一作であることに異論はないが、その理由は150万本という数字ではない。

  • 同じく理由として「ゲームに場面展開が生まれ、それらに合わせた複数の楽曲が用意されたこと」とある。その先例として「グラディウス」のみを挙げているが、遡ればナムコパックランド」「ドラゴンバスター」など前例は枚挙に暇がない。

  • P9 「すぎやまさんのように実績のある方が〜ゲーム音楽の質と知名度の向上をもたらし」 実績と質の関連を指摘するのであれば、それまで質が低かったといわんばかりの書き方は、慶野由利子氏を初めとするアカデミックなキャリアを持つ先行作曲者の「質」を貶めるものだろう。

  • P13 「ノイズをハイハットとして使うのはひとつの発明」 ゲーム音楽よりもっと前、アナログシンセ時代から存在するテクニック。YMOが使った頃にはもはや普遍的になっていた。

  • 同 1980年前後からゲームに音楽が当てられるようになったとあるが、事実誤認。1976年から。

  • P16 「ファミリーコンピューターにミキサー機能が搭載されていたことは意外と重要で」 かもしれないが、MSXにもアタリ2600でもできたことであり、ファミコン独自の発明的工夫とはいえない。

  • P23 分散和音は「ドラゴンクエストⅢ」以前にも用例が多数ある。古くは「バルーンファイト」「レッキングクルー」など。そうした前例より「Ⅲ」の音が分厚いとする理由は何か。

  • 同 「従来のゲーム音楽は、ゲームの場面や舞台、登場人物や敵を描写することが主流でした」これに比して「Ⅲ」は心情描写をしたことが画期的だというが、心情描写はAVGが先駆。それこそすぎやま氏の「ジーザス」を差し置く理由がない(「心情描写」かどうかはそもそも解釈の問題という別の難点もある)。

  • P23 「『ロックマンDr.ワイリーの謎』のチャレンジ」とあるが、ここで述べられている音楽的工夫はすべてコナミが先行している。しかし『ロックマン2』を特別視する理由は書かれていない。

  • P35 アーケード音楽でのPCM使用「1985年頃から確認できます」 遅くとも1983年に「ジャイラス」などが確認できる。

  • P38 「FM音源でエレキ・ギターを採用する例はあまり多く見られませんでした」 事実誤認。世界初のFM音源作品「マーブルマッドネス」に始まり、採用例は星の数ほどある。P110でも同じ誤認が繰り返し強調される。

  • P41 「ナムコのN106」 N106は誤って広まった名称であるというのが近年の定説。N16x ないし N163 とすべき。

  • P48 「フィルモアの衝撃」 まるで「アクトレイザー」の音色が業界全体に衝撃を与えたかのような書き方になっているが、客観的事実としては「ファイナルファンタジーⅣ」に与えた影響が知られるのみ。見えざる影響はもちろん多々あるだろうが、それを空想で補うのはどうなのか。

  • P59 「1993年以降、アーケード・ゲームに搭載されたPCM音源は、SPC700よりメモリ・サイズが大きく、より迫力のある音色が楽しめました」 PCMチップは少なくとも1988年くらいから、よほどのことがない限りSPC700よりメモリサイズが小さくなることはなかった。

  • P65 「レーザーディスク・ゲーム自体が(中略)あまり普及しませんでした」 ……!? LDゲームの代表格「ドラゴンズレア」は1983年の米アーケードにおける最大のヒット作。これを契機としてLDゲームは一時期ある程度の勢力になっていた。

  • P67 パソコン向けのMIDI音源が発売され始めたのはスタンダードMIDIが策定された1991年以降とあるが、普通は1988年のMT-32発売を嚆矢とする。

  • P75 「リッジレーサー」のような音楽が、プレステ以降の音源でなければ実現できなかったような記述になっている。大本のアーケード版はもちろんそれ以前の音源だが、それについての記載はない。

  • P103 「この頃のゲーム音楽は(中略)オリジナル版だけでサウンドトラックが構成される例は少なく」 事実誤認。ゲーム音楽サントラの初期からオリジナルだけの盤はわりとある。

  • 同 「アレンジ盤は(中略)本来目指していた音楽をイメージして作られました」 事実誤認。初期のアレンジはむしろ、ゲームに関係ない人が自分のカラーを出してやるケースが多かった。

  • P108 「エレキギター完成までの道のり」 「女神転生」シリーズだけですべての試みを説明しようとするのは無理がある。ギタリストが自らギターをサンプルした「A-JAX」以降のコナミサウンドや、PCMストリーミングを大胆に取り入れた「ツインイーグル」といった最初期の例に触れられず、いち早く本物のハードロック・ミュージシャンを起用したKAZeピンボールにも触れられず、その他FM音源における幾多の試みにもほとんど触れられない(紹介は「サンダーフォースⅣと「真・女神転生」のみ)。

  • P121 オルガーニャの功績について。欧米圏のMODという巨大な先駆者を一切すっとばし、音色+シーケンスの一括方式がオルガーニャの着想みたいな書き方になっている。

また上記以外にも、後藤浩昭 (GORRY)さんが、下記のような指摘をしておられます。