「ゲーム音楽史」が登録商標になっていた

久しぶりの書き込みなのにまた書籍『ゲーム音楽史』関連の番外編です。恐縮ですが、これはちょっと看過できないと思ったので、ひらにご容赦を。

――先日Do.氏から「『ゲーム音楽史』が商標登録されているらしいよ」と教えてもらいました。

最初は「え、そんなことありえないだろう」と思ったのです。普通に考えれば、こんなのは普通名詞ですから。「ゲーム音楽史に残る○○」なんていう口上は、昔から誰でも言うし、どこででも耳にする言葉じゃないですか? そういう普通名詞は通常「出願しても登録にならない商標」と見做されます。そうでなくても書籍の題号は商標登録できないというのが一般的な解釈です。

そんなわけで、悪い冗談だろうと思いつつ商標を検索してみたわけですが……なんと、本当に「ゲーム音楽史」は商標登録されていました


(111)登録番号 第5740259号
(151)登録日 平成27年(2015)2月13日
(210)出願番号 商願2014−79493
(220)出願日 平成26年(2014)9月21日
先願権発生日 平成26年(2014)9月21日
(180)存続期間満了日 平成37年(2025)2月13日

商標(検索用) ゲーム音楽
(541)標準文字商標 code=8351code=815Bcode=8380code=89B9code=8A79code=8E6A

(561)称呼(参考情報) ゲームオンガクシ
(531)図形等分類
(732)権利者
氏名又は名称 柴田 祐助
法区分 平成23年法
国際分類版表示 第10版
(500)区分数 1
(511)(512)【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】 【類似群コード】
16 印刷物
26A01

これが成立している以上、いまや「ゲーム音楽史」という名称を掲げる印刷物は、権利者の許諾を得なければ出せないことになりかねません。いやいや、そんなのどう考えても一般名詞なんだから無効だろ……と言ってもいられません。最終的に判断するのは裁判所です。もし許諾を受けずに使うのであれば、少なくとも訴訟リスクは覚悟しないといけません。

それにしてもこの権利を主張する「柴田祐助」とは何者でしょうか? 

ゲーム音楽史』の著者名とは違いますね。著者は岩崎祐之助氏です。しかし「祐」と「助」の字が共通することから、「柴田祐助」は著者の本名ではなかろうかと推察することができます。

で、著者紹介によると、岩崎氏は某大手ゲーム制作会社に勤務しているそうなので、「柴田祐助」+「ゲーム会社」で検索してみました。真っ先に出てくるのは「ゲームセミナー卒業生インタビュー - 任天堂」という記事です。ここに登場するするのは任天堂株式会社情報開発本部、柴田祐助氏。

いや、これだけなら偶然の一致かもしれませんね。ですが、もうひとつ物証が見つかりました。日経新聞(2014年8月24日)の書評欄に掲載された、岩崎氏の写真入り記事です。その写真を、柴田氏の別記事における写真と比較してみましょう。


……同一人物かどうかのご判断は、ご覧の皆さんにお任せします。


同一人物であるとして――執筆内容についての問題点は以前に指摘しましたが、任天堂の社員でありながら個人として普通名詞を私物化しようとする姿勢には、本の内容以上に呆れざるをえません。 今回の商標登録がゲーム音楽の歴史研究にとって今後マイナスになることはあっても、プラスになることはないでしょう。そのことを何より危惧しています。

ところで、一般名詞が過誤により商標登録されてしまった場合、どうすればいいのでしょうか? 登録から5年以内であれば、商標登録無効審判という制度を利用して、無効を主張することが可能です。しかしその手続きは意外と大変です。そして肝心なことに、その手続きは誰でもできるものではないんです。その登録商標に対して、利害関係を持つ者にしか手続きできないという決まりになっています。

簡単にいえば、出版社、ライター、あるいはゲーム音楽業界関係者にしかできないということです。たぶん僕自身も、何かしらアクションを起こすべきなんでしょうね。

[7/28追記]

書評というからにはいい点も書いておくべきというご指摘をいただきましたので、そのあたりを。いろいろ問題含みなれど、ハードの制約を初心者にも分かりやすく説明し、そこに対しどのような技術が用いられたか例示するという本書の目的そのものは、ある程度成功していると思います。少なくとも、初心者向けの「音源史入門」としては良い線を行っているんじゃないでしょうか。特にスーパーファミコン以降の時代における楽器表現の工夫については類書のない領域なので、わりと重宝するかもしれません。この時代こそ筆者にとって一番思い入れ深いところであるのは間違いなく、最初からここにフォーカスする本にしておけば、全体的に散漫な印象になるのを回避できたのではないかと思います。

【書評】ゲーム音楽史/岩崎祐之助

【臨時更新】

総評としては、名前負けと事実誤認の多さが気になる一冊。

ナムコ黄金時代やファミコン全盛期からゲーム音楽に親しみ続けてきた、昔ながらのゲーム音楽リスナーは、私も含めて数多くいます。そしてこの世代のリスナーの多くには、ゲーム音楽の聴き方について、ある根深いバイアスがかかっています。それは「ゲーム音楽は実在する楽器の音に近づける努力が大事で、いかにリアルな音を出しているかが楽曲の価値に大きく関わっている」とする、音色中心主義(ないしリアリズム信仰)ともいえる態度です。少なくとも90年代半ばまで、それはほとんど自明の前提のように作用していました。こういった認識がバイアスであると自覚しているリスナーは当時とても少なく、今日に至ってもまだ多くはないでしょう。

リスナーの多くは、誰から強制されたわけでもないのに、この考え方を自然なものとして受け入れていました。社会学でいうところの信憑構造がそこに生まれていたといえます。『ゲーム音楽史』の著者も、こうした信憑構造にどっぷり浸かった世代の方と見受けられます。そしてその自覚もないまま、リアル礼賛を価値の主軸に置いています。彼は一貫して「ハードウェアの制限と、そこを克服してリアルに聴かせる工夫」について語りますが、そもそも何故リアルな音が必要とされたのか、何故ゲーム音楽が「普通の音楽」に近づいていかなければならなかったのか、そのあたりの考察が一切ないため、音楽史というより、彼の主観によるディスクレビュー本になってしまっています。

まあその点については、タイトルの付け方が悪かっただけ……と言ってしまってもいいのかもしれませんが、しかしより残念なことに、本書には事実誤認や前提条件の拙さも多く含まれています。以下ざっと列挙してみましょう。

  • P8 「ドラゴンクエスト」をゲーム音楽の起点のひとつとする理由として150万本売れたことが挙げられているが、150万本は当時のファミコンにおいて目立って多い数字ではない。http://matome.naver.jp/odai/2135604180733823201 初期のゲーム音楽に新風をもたらした一作であることに異論はないが、その理由は150万本という数字ではない。

  • 同じく理由として「ゲームに場面展開が生まれ、それらに合わせた複数の楽曲が用意されたこと」とある。その先例として「グラディウス」のみを挙げているが、遡ればナムコパックランド」「ドラゴンバスター」など前例は枚挙に暇がない。

  • P9 「すぎやまさんのように実績のある方が〜ゲーム音楽の質と知名度の向上をもたらし」 実績と質の関連を指摘するのであれば、それまで質が低かったといわんばかりの書き方は、慶野由利子氏を初めとするアカデミックなキャリアを持つ先行作曲者の「質」を貶めるものだろう。

  • P13 「ノイズをハイハットとして使うのはひとつの発明」 ゲーム音楽よりもっと前、アナログシンセ時代から存在するテクニック。YMOが使った頃にはもはや普遍的になっていた。

  • 同 1980年前後からゲームに音楽が当てられるようになったとあるが、事実誤認。1976年から。

  • P16 「ファミリーコンピューターにミキサー機能が搭載されていたことは意外と重要で」 かもしれないが、MSXにもアタリ2600でもできたことであり、ファミコン独自の発明的工夫とはいえない。

  • P23 分散和音は「ドラゴンクエストⅢ」以前にも用例が多数ある。古くは「バルーンファイト」「レッキングクルー」など。そうした前例より「Ⅲ」の音が分厚いとする理由は何か。

  • 同 「従来のゲーム音楽は、ゲームの場面や舞台、登場人物や敵を描写することが主流でした」これに比して「Ⅲ」は心情描写をしたことが画期的だというが、心情描写はAVGが先駆。それこそすぎやま氏の「ジーザス」を差し置く理由がない(「心情描写」かどうかはそもそも解釈の問題という別の難点もある)。

  • P23 「『ロックマンDr.ワイリーの謎』のチャレンジ」とあるが、ここで述べられている音楽的工夫はすべてコナミが先行している。しかし『ロックマン2』を特別視する理由は書かれていない。

  • P35 アーケード音楽でのPCM使用「1985年頃から確認できます」 遅くとも1983年に「ジャイラス」などが確認できる。

  • P38 「FM音源でエレキ・ギターを採用する例はあまり多く見られませんでした」 事実誤認。世界初のFM音源作品「マーブルマッドネス」に始まり、採用例は星の数ほどある。P110でも同じ誤認が繰り返し強調される。

  • P41 「ナムコのN106」 N106は誤って広まった名称であるというのが近年の定説。N16x ないし N163 とすべき。

  • P48 「フィルモアの衝撃」 まるで「アクトレイザー」の音色が業界全体に衝撃を与えたかのような書き方になっているが、客観的事実としては「ファイナルファンタジーⅣ」に与えた影響が知られるのみ。見えざる影響はもちろん多々あるだろうが、それを空想で補うのはどうなのか。

  • P59 「1993年以降、アーケード・ゲームに搭載されたPCM音源は、SPC700よりメモリ・サイズが大きく、より迫力のある音色が楽しめました」 PCMチップは少なくとも1988年くらいから、よほどのことがない限りSPC700よりメモリサイズが小さくなることはなかった。

  • P65 「レーザーディスク・ゲーム自体が(中略)あまり普及しませんでした」 ……!? LDゲームの代表格「ドラゴンズレア」は1983年の米アーケードにおける最大のヒット作。これを契機としてLDゲームは一時期ある程度の勢力になっていた。

  • P67 パソコン向けのMIDI音源が発売され始めたのはスタンダードMIDIが策定された1991年以降とあるが、普通は1988年のMT-32発売を嚆矢とする。

  • P75 「リッジレーサー」のような音楽が、プレステ以降の音源でなければ実現できなかったような記述になっている。大本のアーケード版はもちろんそれ以前の音源だが、それについての記載はない。

  • P103 「この頃のゲーム音楽は(中略)オリジナル版だけでサウンドトラックが構成される例は少なく」 事実誤認。ゲーム音楽サントラの初期からオリジナルだけの盤はわりとある。

  • 同 「アレンジ盤は(中略)本来目指していた音楽をイメージして作られました」 事実誤認。初期のアレンジはむしろ、ゲームに関係ない人が自分のカラーを出してやるケースが多かった。

  • P108 「エレキギター完成までの道のり」 「女神転生」シリーズだけですべての試みを説明しようとするのは無理がある。ギタリストが自らギターをサンプルした「A-JAX」以降のコナミサウンドや、PCMストリーミングを大胆に取り入れた「ツインイーグル」といった最初期の例に触れられず、いち早く本物のハードロック・ミュージシャンを起用したKAZeピンボールにも触れられず、その他FM音源における幾多の試みにもほとんど触れられない(紹介は「サンダーフォースⅣと「真・女神転生」のみ)。

  • P121 オルガーニャの功績について。欧米圏のMODという巨大な先駆者を一切すっとばし、音色+シーケンスの一括方式がオルガーニャの着想みたいな書き方になっている。

また上記以外にも、後藤浩昭 (GORRY)さんが、下記のような指摘をしておられます。

中国のコンピュータ開発史

多忙にかまけてすっかり見過ごしていましたが、航天機構の例によって素晴らしい共産圏コンピュータ史です。ゲーム機についても記述がありますが、そういえば中国にはファミコンクローン機から独自に発展した低年齢層向け教育パソコンがきわめて広く普及していたという興味深い一面もあり、そのあたりもいずれ掘り下げてみたいところです。

セガマークIIIのプラグ&プレイ機、近日発売?

マークIII/マスターシステムのプラグ&プレイ型復刻機といえば、ブラジルだけで販売されているマスターシステム・ハンディがありますが、香港のアジアン・トイ・ソース社からそれとは別のタイプが登場するようです。イッギ氏が書いているように、同社が行うのは受注生産のみで、販売元の要望にあわせて50本のソフトから10本ないし20本をセレクトして組み込むとのこと。アレックスキッド・コレクションとかグレートスポーツ・コレクションとか、そういったものが出てくるではないかと思われます。販売元の詳細はまだ不明ですが、価格は10-in-1で29.95ドル、20-in-1で39.95ドルくらいが目安とのことです。

ちなみに発表直後にはDCEmuで写真を見ることができたのですが、後日メーカーの希望で取り下げられてしまいました。日本の有名デザイナとは何者でありましょうか。

Minimig - ワンチップ・アミーガ 開発進行中

18日にオランダで行われるホビー・コモドール・クラブのミーティングで、FPGAによるワンチップ・アミーガ500の試作機が公開されるそうです。これはデニス・ヴァン・ウェーレンというエンジニアが約一年にわたって開発してきたもので、CPUが別チップになるので正しくはワンチップとはいえませんが、ともかくもAgnus, Denise, Paulaといった主要カスタムチップの全機能が集約されるとなれば、快挙といえるのは確かでしょう。まだサウンドとキーボードがサポートされていないようですが、使用論理ゲート数は約20万とのこと。いまのところ商品化の予定はないようです。

著作権フリーなエミュレーション、その先にあるもの

たびたび述べているように、ZXスペクトラムというパソコンはクリーンなエミュレーションの実現にかけて最先端に位置する存在です。エミュレータの配布が正式に認可されているだけでなく、過去に市販されていたソフトの大半や関連資料まで公認・無償で入手できるといういたれりつくせりの環境には、旧世代機エミュレーションの理想像が示されているといっても過言ではないでしょう。こうした状況はひとえにユーザーたちの著作権問題意識の高さと積極的なボランティア活動のたまもので、その成果はWorld of Spectrumというサイトに集約され、誰でもアクセスできるものとなっています。

ところが英国のレトロPCジャーナリストであるコリン・ウッドコック氏は『Micro Mart』誌の連載コラムのなかで、次のように述べています。


毎年クリスマスが近づいてくると、eBayディスク問題に絡んだアンビバレンスの発作らしきものに襲われる自分に気が付く。これから述べることに、スペクトラム・コミュニティの住人はほとんど例外なく賛同しかねるだろう。私自身もそうなのだ。それにも関わらず、これが長期的にみればむしろシーンに利益をもたらす可能性があるのではないかという考えを、私は払拭することができないでいる。

eBayディスク問題とは? 単純なことだ。World of Spectrumのウェブサイトに行って、エミュレータ、ゲームファイル、雑誌スキャンなど――当然すべて無料――をありったけダウンロードし、ブランクDVDに焼きまくる。それから有名ゲームのスクリーンショットと「シンクレア」「スペクトラム」「メガ」とかいった単語をあつらえた悪趣味なカバーを印刷。そいつをeBayに持ちこんで、2.99ポンド (600円) ぐらいで違法販売するのである。原本を創り出すのに汗水流してきたスペクトラム愛好者たち全員に心底不快な気持ちを味わわせたいなら「これは製作にかかる手数料のみの価格で、当方は一切の利益を得ておりません」みたいな商品説明も欠かせない。いやもちろん、ダウンロードは今現在それくらい労力がいる作業ではあるが。

こういう言い訳をされるとやはり法的に取り締まることは難しいのでしょうか、この手の出品は後を絶たないようです。評価に傷を付けるためだけに入札してやろうかという気分に何度襲われたことか――ウッドコック氏はそう述べています。


しかし結局、若い頃に90分テープでソフトをダビングしていたスペクトラム愛好家が、いま現在スペクトラムのゲームを複製転売している輩に喧嘩を売ったところで、目くそ鼻くその偽善行為でしかないのではないか、という考えがいつも頭を過ぎるのである。それで頭が冷めて、私は特売品のチェックに戻る。もちろん私には腹を立てる資格がある。私たちが80年代にやっていたことに比べて、複製の規模がとんでもなく大きいということは確かなのだ。それに私たちは誰も利益を得ようとはしていなかった。よくできたことに、転売人たちの中には、盗み取った大元のコミュニティに属する人間はいないように思われる。連中は実際のところ、行きがけの駄賃に我々の善意を悪用し、美味しいところだけをさらっていく通りすがりの名無しさんなのだろう。

だがそうだとしても、私は真剣に考えてしまうのである。こちらの努力から転売人たちが得るものが、そんなに大きいだろうかと。頭が冷めた瞬間、連中はむしろ貢献しているのかもしれないのだという考えが――もちろんきわめて無意識的に――浮かんでくる。結局のところ、こういう転売ディスクを買ってしまった人が、事前に現在のスペクトラムシーンについて知っているということは、まずなさそうに思われる。知っていたら私たちと同じように、ネットから無料でダウンロードしているはずだ。こう考えてみると、ディスクが一枚売れるごとに、コミュニティに新しい人材を呼び寄せる可能性があるとも考えられるわけである。エミュレータ作者様へ: ヘルプファイルに適切なアドバイスを記すことをお忘れなきよう。

エミュレータを介したユーザーコミュニティというものがきわめて限定的にしか実現されていない日本からみると、随分迂遠な話に思えるかもしれません。同じようにしてフリーなエミュレーションを実現しているX68000でさえ、コミュニティは閑散としているわけですから。なんにしても、著作権問題が解決すればエミュレータの未来は薔薇色というわけでもないらしいということだけは、心の片隅に留めておきたいところです。