Genesis 32XのTVコマーシャル映像

セガサターンと前後して登場するという戦略的失敗を誰もが指摘する32X。しかし当時ジェネシス (メガドライブ) が市場シェアNo.1にあった北米での位置付けは、日本で捉えられているような「サターンのついでの最後っ屁」ではなく、猛追してくるスーパーファミコンから、性能面での優位を完全に奪回するための新兵器というものでした。

32Xことプロジェクト・マーズは日本側 (後に社長となる佐藤秀樹氏ほか数名のエンジニア) の発案ですが、開発はセガオブアメリカ主導で進められました。最初は拡張機器ではなく、メガドライブ/ジェネシスの上位互換機を想定したプロジェクトだったものが、アメリカ側の要請でアドオンとして設計されるようになったといいます。

同じ頃日本側は独自にサターンの開発をスタートしていますが、その事実が32Xサイドに伝えられたのは、計画がだいぶ進んでからのことだったそうで、このあたりの行き違いでいろいろ揉めたのか、日本のセガは結局二種類の新型ハードをほぼ同時にリリースしなければならなくなります。

日本側は誰もが知るようにサターンを強力に推進し、32Xの扱いは申し訳程度で済ませています。サターン一本に割りきったおかげで、日本のセガは数年にわたってプレイステーションと互角の勝負を繰り広げました。いっぽう北米ではサターンの上陸を遅れさせたことも手伝って、32Xは当初大いに話題を呼び、注文はすぐに100万台に達したそうですが、その人気に見合うほどの数量を生産できず、いきなり深刻な品不足に陥ります (一説には50万台しか供給できなかったといわれています)。生産工程が二分される問題を解決すべく、セガオブアメリカは32Xとジェネシスを一体化した新型機・ネプチューンをアナウンスするものの、サターンとほとんど同じ価格設定にしなければならないことが判明して計画を断念。あげく急ごしらえのゲームに対するユーザーの不満も膨らみはじめ、セガオブアメリカはあわててサターンのUSA上陸プランを前倒しします。しかしあまりに急激な方向転換だったため、本体価格、ソフトのラインナップ、宣伝のすべてにおいてプレイステーションに水をあけられ、50%から65%にも及んだという北米市場のシェアは、たった一年の間に35%にまで低落。北米のサターンは泣かず飛ばずで終わりました。

Sega Extremeが公開しているこのコマーシャル映像には、そんな時代の32Xの、一瞬の栄華が凝縮されているように思います。この時点ですでにメガCDとの連携を匂わせているのも興味深いですね。こちらでは、ほかにも往時のセガ関連コマーシャルをあれこれダウンロードできます。