HP-9830 - 今日的な感覚でパソコンと呼べる最古のマシン

MCM/70にできるようなことは、少なくとも先にHP-9830がほぼすべて実現していました。これはヒューレット・パッカードが1972年12月に発表したハイエンド向け「プログラマブル電卓」です。ええ、名目上は電卓なのですが、単に当時パーソナルコンピュータなどというマーケットが存在しなかったからそう位置付けるしかなかっただけのことで、機能面でパソコンと区別する理由は見当たりません。ところで私がいう今日的な感覚のパソコンとは、以下の要件を満たすものです。

  1. 個人で所有・管理可能。
  2. 完成品として提供可能。
  3. 汎用的なソフトウェアオペレーションを想定。
  4. フルキーボードが付属もしくは一体化。
  5. 外部記憶装置の読み書きをサポート。
  6. 専用映像ディスプレイ装置が用意されている。もしくは家庭用テレビで使用できる。
  7. CPUやRAMなどの主要な回路と電源を卓上サイズの容器一個に集約。
こういう観点に拠るなら、PDP-8/I (ICベースで再設計された二代目PDP-8。1968年登場) をはじめとする卓上サイズのミニコンピュータも、パーソナルコンピュータにかなり近い存在ということになります。実際PDP-8こそ真に最初のパソコンだと主張する人もいるわけですが、キーボード入力には別途テレタイプ端末が必要で、映像ディスプレイも標準状態ではサポートされていませんでした。どちらかといえば、まだワンボードマイコンに近い感覚です。

さて、この要件に沿って見れば、HP-9830はMCM/70のみならず、Apple IIとも本質的に同じものだといえるわけです。ただし、HP-9830はおいそれと趣味で購入できるような値段のものではありませんでした (ホワイトカラー年収の半分から1/3に相当)。Apple IIやコモドール PET 2001などは、個人所有を飛躍的に容易にした、いわばホビイストのためのパーソナルコンピュータとして登場したことに意義があったわけです。

HP-9830の仕様を、もう少し細かく見ていきます。まず中央演算装置。8MHzの16ビットプロセッサです。ただしマイクロチップ一個では完結しておらず、命令セットを詰め込んだROMと、ビットワードを処理するためのIC7個ほか、約80個のチップを組み合わて4枚のボードにまとめたものになっています。命令セットは、同社のミニコンHP-2100シリーズに似せたものだったそうです。RAMは標準で3520バイト。最大7K (後期型は16K) まで拡張可能。記録メディアとしてはカセットテープドライブを一基内蔵していますが、周辺機器にはなんとハードディスク (最大4.8メガバイト) まで用意されていました。出力デバイスは一列32文字のLEDディスプレイのみですが、オプションで大型ディスプレイへの出力も可能だったようです。ちなみにCRTモニタを標準でサポートした最初のデスクトップコンピュータは、HP-9830に約半年遅れてWang Laboratoriesが発表したWang 2200でした。

ここまで述べたような基本設計は、ヒューレット・パッカードの先行プログラマブル電卓・HP-9810 (1971) や、その後継のHP-9820 (1972) とだいたい同じです。そういう意味では、これらが元祖パーソナルコンピュータであるともいえますが、今日的な感覚からすれば、あと一歩パソコンと呼ぶには及ばないものでした。HP-9830だけが持つ機能、つまりHP-9830をパソコンたらしめている特色、それは―――内蔵のBASIC言語と、これによるディスク/テープオペレーション、そしてBASICを扱うためのフルキーボードです。BASICはそれほど強力なものではなかったそうなのですが、これでゲームを作った人もいたにはいたようです。またHP-8930は、ROMカートリッジでBASIC命令を拡張することができるというユニークなプラグイン機能を持っていました。そう、これは世界ではじめてカートリッジスロットを採用したコンピュータでもあるのです。