Apple Iで目指したのはこれだった

ところで、Apple IIの開発者であるスティーヴ・ウォズニアク氏が、元ヒューレット・パッカード社員だったことは有名ですね。彼の入社はちょうどHP-9830の登場直後にあたる1973年で、彼自身もHPシリーズの電卓を一台所有していた (そして後にApple Iの製造資金調達のために売り飛ばした) ことが知られています。Altair 8800以前から存在していた、BASICの走るデスクトップマシン―――その存在がウォズニアク氏に与えた影響は、決して小さくありませんでした。彼はもともと、Apple Iをヒューレット・パッカードから発売してもらうつもりでデザインしていたのです。それはとりもなおさず、Apple IをHPシリーズと同じ世界の住人だとみなしていた、ということでしょう。


WOZNIAK: ヒューレット・パッカードのラボで、ぼくらは9830っていうBASICが動くコンピュータを使っていた。これは科学者向けにデザインされた一万ドルもするもので、個人用のコンピュータではなかったけど、即座にBASICを走らせることができたんだ。Apple Iで目指したのはこれだった―――着席。電源投入。タイプ開始。

BYTE: ヒューレット・パッカードApple Iの権利を欲しがりませんでした。あなたはそこに在籍していた間にApple Iを設計したわけですが、彼らには開発話を持ちかけたのですか?

WOZNIAK: うん。HPのラボにはマイクロコンピュータに興味を持っている人間が何人かいた。で、ぼくらはラボのマネージャに提案してみたんだ。どうやれば800ドルのちっぽけなマシンでBASICを走らせて、しかもそれを家庭用テレビに繋ぐことができるか、じっくり腰を落ち着けたミーティングで、苦心して書類にまとめた。でも、いまこの男は、HPの9830・デスクトップBASICマシンのプロジェクトマネージャなんだけど、同様の問題はもう何度も経験済みでね、これをHPの製品にできないってことは分かっていたんだ。彼は正しかったな。ヒューレット・パッカードはホビー製品には手を出すことができなかった。まだ若く先行き不透明な、当時発展途上にあった市場と関わりあいになることは、単純に無理だった。で、彼は計画を却下して、ぼくは正式に自分でリリースできるようになったわけさ。ひとつ変なことが起きたなあ。ぼくらがApple Iを売り出してから、籍を置いているHPの電卓部門が、Capricornていう小型8ビットプロセッサの開発計画をスタートしたんだ。彼らがやろうとしていることの大半を、ぼくはもう実現済みだったのに、このプロジェクトにぼくを使おうとはしなかったね。


『BYTE』1984年12月号「The Apple Story, Part 1」より翻訳。記事はApple II Historyに転載されたものを参照

Capricornは1979年に12ビットプロセッサとして完成、翌年発売のHP-85に搭載されていますが、Apple IIと競合するような製品には仕上がっていませんでした。