ペニー・アーケード 〜 アーケードの起源

アメリカには「ゲームセンター」という言葉はなく、日本のゲームセンターにあたるものは「アーケード」と呼ばれている―――そういうことを日本のヴィデオゲームファンが意識しはじめたのは、1980年代中頃のことだったと記憶しています。現在はもうかなり定着している認識ではありますが、それでもなお、ゲームに深入りしない人たちは、いまだに「アーケード」が何を意味するのか知らない場合が少なくありません。そりゃまあ知らなくても、普通の人には差し障りのあることではないですからね (このあたりの事情は、実はヨーロッパでも大同小異なのだそうです)。

ところで、この「アーケード」という言葉は、いったい何に由来するのでしょうか。日本のサイトをざっと巡ってみると、「アメリカではアーケード街の店先にゲームを置くことが多かったから、こう呼ぶようになった」という説が、わりと市民権を得ているように見受けられます (元タイトー開発課長による説だとか?)。しかしこれはちょっと変な話で、コイン式ゲーム機の歴史は19世紀後半に幕を開けているのですが、その当時はサロンやレストランなど、飲食店が設置場所の中心になっていたはずなのです。

調べてみると、由来はやはり、いわゆるアーケード街ではないことが分かりました。アメリカでは1920年代から1960年代にかけて、「ペニー・アーケード」と呼ばれるスタイルの店舗が人気を博していたのですが、これが現在アーケードと呼ばれている施設の直接的な先祖だったのです。「ペニー・アーケード」、訳して「一円玉商店街」。ゲームやジュークボックスなど、コイン式マシンの一台一台を自動操業する店舗に見立て、それらを集め並べることで、小さな商店街に来たような感覚を味あわせる―――野暮ったく説明すれば、そういう施設です。

ペニー・アーケードの誕生はかなり古く、1880年代まで遡る可能性があります。記録に残る最古のもののひとつは、1894年に10台のキネトスコープが商業デビューを飾ったことで知られる、ブロードウェイのペニー・アーケードでしょう。

キネトスコープとは、トーマス・エディスンが開発した、映画の原点ともいえるコイン式映像筐体です。驚いたことに、映画もまたアーケードに起源を持つわけですね。もっとも、この後すぐ全米各地でキネトスコープ・パーラーという専門のアミューズメント施設がオープンするようになり、キネトスコープは他のコインマシンとは住み分けていったようです。ちなみにワンプレイ20秒から60秒程度で、価格は10セント。通常のコインマシンより一桁高価な娯楽だったわけですが、それでも物凄い人だかりができたといいます。

それから十年後、当時六歳だったジョージ・ガーシュインが、ペニー・アーケードから漏れ聞こえてくるコイン式自動ピアノラグタイムに魅了され、これをきっかけに音楽の道を志すようになります。彼はその後アメリカを代表する作曲家の一人となっていくわけですが、彼がピアノを独習しはじめた1908年になると、ペニー・アーケードはもう辞書に記載されるほど一般的な存在になっていたそうです。

その後1930年代のピンボールブームを経て、この種の施設は一気に増加していきますが、物価の上昇とともにペニー (1セント) 硬貨でプレイできる装置は姿を消し、いつしか呼称は単に「アーケード」へと変化していきます。

タイトルからリンクしているマーヴィン・ヤゴダ氏の写真コレクションは、やがて「ポン」をスマッシュヒットさせる土壌となる、それらペニー・アーケードの姿を眼で追うことができる、貴重な資料といえます。見所はこちらこちらの写真で、だいぶあとの時代 (といっても太平洋戦争前) に撮影されたものですが、基本的な営業スタイルは現在のゲームセンター/アーケードと大差ないものだったように見えますね (この頃にはもう光線銃ゲーム、クレーンゲーム、占いマシンなどが登場していました)。あと後者の写真には、すでに「アーケード」とだけしか記していない看板が写っていることも見逃せません。

ちなみにこのサイトの元になっているのは、ペニー・アーケード時代を集大成した『Coin Ops On Location 』という同人出版の写真集です。ちょっと高価ですが、かなり見応えありそうですね。

参考:
Tim Pritlove: Origin of the term "arcade game"
Marvin Yagoda: Vintage Coin Operated Fortune Tellers, Arcade Games, Digger/Cranes, Gun Games and other Penny Arcade games, pre-1977.
Takashi Kiso: History of Slot Machines