草の根BBS文書あれこれ

BBS時代のテキスト喪失を惜しむようなことばかり綴っておきながら、じつのところ私自身は当時のログをほとんど手元に残していなかったりします。とはいえ、かろうじて保存してあるわずかな記録にさえ、多少は興味深いものが見られるので、不特定多数に読まれることを意図して書かれている、公開しても差し支えなさそうなものだけ、以下にピックアップしてご紹介します。

「TAKALITHが無くなる?」 (1990)

いまはなきテクノスジャパン社が、PC-9801フリーソフト「TAKALITH」の配布に圧力をかけた事件の発端。アイデア著作権が及ぶのかということで、当時それなりに議論になりましたが、こういう事件があったこと自体、今ではほとんど忘れられていますね。その後の顛末についてはこちらを参照。

BBSでの嫌われ方 (1990?)

当時のネットワーカなら一度は目にしたであろう、たいへん有名な文書。嫌われるネットワーカの型は昔も今もそんなに変わらないわけですが、注目すべきは最後のコメント。これはいわゆるネチケットとは似て非なるものなのです。草の根BBSからインターネットへの移行期に、このあたりの匙加減の差がしばしば戸惑いをもたらしました。もっともそれは、highbiscus氏が指摘するアングラ草の根BBS風土の常態化に比べれば、微々たるものではありましたが。

こんなホストは嫌われる (1990?)

上の姉妹編。愛嬌の程度は同じで、こういうBBSが普通にあちこちに存在していたことは一応念を押しておきます。ところで某有名有料ネットというのはどこなのでしょうかね。

ウィルス情報:サンデ〜ネット版 (1991)

X68000を対象にしたトロイの木馬の発見報告と被害報告。1991年というと日本にウイルスが現れてまだ3年という時期で、むろんセキュリティ対策などあろうはずもなく、ウイルス情報を迅速にキャッチすることだけが唯一の予防策でした。そういう時代の様子を伝えるログです。

RAMGネット・D/Gボード開設の主旨 (1992)

関西のX68000ユーザーを中心に人気を集めたRAMG-Network。ここからは日本初のオンラインディスクマガジンがひっそり誕生し、そして短命なまま消えていきました。D/Gというのはその後継企画ですが、やはり目立った成果は挙げられなかったように記憶しています。当時一部の創作系BBS以外では、独立した読み物としてのテキストファイルはそれほど重宝されない傾向がありました。そういう状況を示す資料として。

「脳天直撃!3」盗作事件その後 (1992)

同人ソフトというものが今日考えられないほどナメられていた時代の、杜撰きわまる盗作の顛末。日本の同人ソフトが知らない異国で勝手に改変して売られるような事態は、今日でも十分ありうるわけですが、文末に示されるような対策はもう常識なのでしょうか?