もうひとつのファミリーコンピュータ・紅白機

ファミリーコンピュータの海外版としては、ニンテンドー・エンタテイメント・システム (NES) が有名ですが、実はほかにもう一機種存在していたのをご存知でしょうか。姿も名前もファミリーコンピュータでありながら、香港市場向けにラベルやパッケージが変更されている「紅白機」と呼ばれるタイプのものです。あちらでファミコンが「紅白機」と呼ばれていたという事実そのものは有名ですが、海賊版市場として悪名高かった香港に、かつてファミコンが正規流通していた時期があったということは、ご存知ないかたも多いのではないでしょうか。

日本での発売当初、ファミコンは香港でそれほど注目を集めていなかったようです。というのも、香港のヴィデオゲーム市場はまだ非常に小さく、先に流通していた雅達利 (Atari) 2600なども、裕福な家庭にだけ許される道楽のひとつでしかなかったからです。

しかし1985年以降香港経済は急成長を遂げ、次第に一般家庭でもヴィデオゲーム機を受け容れる余裕が生まれてきます。「紅白機」の正確な発売時期は不明なのですが、一説にはこの頃だったのではないかといわれています。

任天堂は香港に支社を構えていたわけではないので、実際は現地の玩具流通会社・西門玩具有限公司がライセンス販売していたようです。「紅白機」の呼称が台湾にも浸透しているところを見ると、おそらく同様にして台湾にも渡っていたのでしょう。

面白いことに、任天堂はこれと相前後してNESの香港版 (通称「灰機」) も製造し、同じ市場へと投入しています。二種類のカートリッジ規格を同居させて、市場をいたずらに混乱させるような真似をした任天堂の真意は、いまだによく分かっていません。ともかく、こうして香港にはファミコンNESが公式に両立するという、不思議な市場が形成されることになるわけです。

とはいえ「紅白機」と「灰機」とが共存できた時期は、それほど長くありませんでした。結局「紅白機」だけが圧倒的な人気を集めるようになり、「灰機」は二年ほどで姿を消しています。本質的に同じはずのニ機種の明暗を分けたもの―――それは、ディスクシステムの登場に他なりませんでした。土地柄から容易に想像がつくと思いますが、香港ではディスクシステムの発売後間もなく専用ディスクの密造が横行し、しばらくすると海賊版のディスクゲームがばかげて低価格で出回るようになったのです。価格は一枚数十元から十数元 (相当) だったというので、だいたい新品カートリッジの十分の一程度の金額で入手できたことになります。「灰機」でディスクシステムを使用できるようにするアダプタも出回ってはいましたが、わざわざそれを使うのも高くつくうえ面倒です。しかも当然ながら、ディスクシステムのソフトは通常NTSC用で、そのままPALで走らせると、動作が遅くなったり、画面が崩れるなどの不具合が生じます。これでは「灰機」が売れなくなるのも当然というものでしょう。

家庭用ゲームを前代未聞の低価格で遊ぶことができるという評判から、香港の「紅白機」人気は大変な盛り上がりをみせるようになったわけですが、かならずしも順風満帆だったわけではなく、1980年代の終わり頃から、韓国製の安価なファミコン互換機「BIT70」や、台湾生まれの「小天才」などに苦しめられるようになります。しかしこれらも当初は、純正品を駆逐するまでには至りませんでした。まだ互換性が十分に高くなかったためで、したがって少々高価でも、子供たちは純正品を好んだといいます。

そんな「小天才」もその後改良と多様化が進み、海賊版ソフトの主流がディスクから「xx in 1」タイプのマルチROMへと移行するにいたって、任天堂純正品の存在は忘れられるようになっていくわけですが、少なくとも1991年まではオフィシャルな「紅白機」は人気商品であり続けました。こちら (香港経典電視広告大全) の右側五番目のリンクから、当時のテレビコマーシャル映像を見ることができます (「第ニ代」と書いてあるところをみると、「灰機」の登場後「紅白機」は一時的に姿を消していたのかもしれません)。「スーパーマリオブラザーズ3」のご時世になっても、ディスクシステム単体のコマーシャルを打っているところに、その人気のほどが覗えます。香港では最終的に、一家に一台の割合で「紅白機」あるいは互換機が普及していたというので (台湾も似たような状況だったそうです)、ディスクシステムもまた相当な数が売れていたと考えられます。

考えてみると、ディスクシステムを香港に持ち込んだことは、任天堂にとって最大の失敗だったのかもしれません。これさえなければ、東南アジアの海賊版ファミコン市場をあそこまで肥大させるきっかけを作らずに済んだかもしれないのですから (1992年に台湾で独自開発されたスーパーファミコン用マジコンは、明らかにディスクシステムからヒントを得たものでしょう)。2003年になって任天堂が突然中国市場に放った神遊機を「ディスクシステムのようだ」と形容する人がいますが、見方によっては、まさにディスクシステムの弔い合戦のような様相を呈しているわけですね。