Retro Mart のレトロ宣言

英語版RetroPC.NETともいうべきRetro Martに「レトロであるべきかあらざるべきか」と題するショートコラムが掲載されました。あるべきかもなにも、アタリもコモドールもどう考えたってレトロな存在なのですが、本来「レトロ」は退行・逆行的な意味合いを含む言葉で、ファッションの領域で用いられるようになって以降はポジティヴに捉えられる機会が増えたとはいえ、やはり使えないものという印象を与えかねないのです。それで、一貫して前向きに8-bit/16-bit機と付き合ってきた欧米のユーザーには「今日的なハードやソフトが次々出ている現実と食い違う」といって、この言葉に抵抗を感じている人がいるというわけです。

とはいえ実際問題として、「レトロ」という言葉はもう定着しつつある―――ならいたずらに敬遠するのではなく、むしろ積極的にこの言葉を使っていこうじゃないか、というのがこのコラムの主張するところですね。ただし同時に、雑誌に働きかけるなどして、旧世代機がどのように活用されているのかを的確に知ってもらう努力をする。そうすればいつか「レトロ」の語義そのものを変化させることができるかもしれないし、遥かに建設的な結果を生むだろう…と。

「レトロ」という言葉をそれほどネガティヴに感じない日本人にとっては、どうでもいい話かもしれません。とはいえ、旧世代機の話題が思い出話に終始しがちな状況は、むしろ日本のほうが顕著なわけですから、いまのソフトやハードを知ってもらって、旧世代機をノスタルジーから解放したいという気持ちには、十分すぎるほど共感できます。共感できますが…。

果たして雑誌や書籍が、どれだけそういう方向に力を入れたがるでしょうか。ノスタルジーを排除するのと強調するのと、どちらが商売的においしいかは、考えるまでもないことです。Atari 10 in 1amazonで3位まで昇るような国柄のドイツで、最後のアタリPC専門商業誌「ST-Computer」は、なぜ廃刊に追い込まれなければならなかったのか。それは安易な懐古趣味に与しなかったからでしょう。ノスタルジーの入り込む余地のない、現在進行形の旧世代機シーンに対する風当たりは、レトロブームの最中にある今日でさえ、意外なほど厳しいのです。

コンピュータ情報誌である以前に売買情報誌である「Micro Mart」(Retro Martの母体) はどうだか知りませんが、それ以外の雑誌はおそらく「レトロ」の語義を変化させるほど、現行ソフト/ハードには肩入れしてはくれないでしょう。そりゃ紹介くらいはしてくれるかもしれませんが、8-bit機に本当の意味で将来性があるなどとは、よほど酔狂な出版社でもない限り、本気で考えたりはしません。

教育市場に足場を築き、まがりなりにも未来への布石を打っているMSXは稀有な例外になりうるとして、そのほかの機種はレトロブームに消費しつくされたら最後、今度こそ本当に終わってしまうかもしれません。かといっていまさらコマーシャリズムを否定したところで、なにも始まらないのも事実。旧世代機を二度死なせないためには、結局ユーザーがコマーシャリズムに利用されつつ利用するような、したたかな立ちまわりの術を身につけていくしかないのです。Retro Martもそのあたりを自覚したうえで「レトロ」の積極活用を提唱しているのでしょうけど、それだけで退治できるほど、ノスタルジーという怪物は甘くないですよ。