Color Dreams

そもそも現在のプラグ・アンド・プレイゲーム市場は、かならずしもJAKKS PacificやXaviXが切り拓いたものとはいえません。市場を開花させる本当のきっかけを作ったのは、タイを発火点とするMEGA JOY勢だったはずです。ワンチップファミコンとゲームROMをまるごとコントローラに一体化したこのゲーム機 (とその亜種) は、欧米でも密かな人気を博していましたが、収録ゲームがすべて過去作品の違法なコピーということもあって、表立って騒がれることはありませんでした。先に言及したゲームステーション・アーケードは、そんななかにあって、唯一合法的なゲームだけを収録していたことで知られています。

これに内蔵されている15本のゲームは、すべてカラー・ドリームズの作品なのです。といっても、日本ではほとんど知名度などないに等しいメーカーですが、欧米のNESユーザの間では、テンゲンに続く第二の非任天堂ライセンスメーカとして、それなりに有名です。ただしテンゲンとは対照的に、カラー・ドリームズはいともあっさりとロックアウトチップの解析に成功していました。これは完全に合法的な手段によるものだったため、法的抑圧を受けることもなく販売を続けることができ、全部で15本のゲームを送り出しています。ようするに、カラー・ドリームズの作品はもとから任天堂と無関係だったため、ワンチップファミコンと組み合わせて再販する許可も、他社と違って得やすかったわけです。

カラー・ドリームズのデビュー作は、「ベビー・ブーマー」(1989) というゲームでした。これは20万本生産され、うち12万本が売れたといいます。その次に発売されたのは「キャプテン・コミック」と「クリスタル・マインズ」。この二本は、カラー・ドリームズのベストセラーとなりました。しかし以降のゲームはそれほど高品質でなく、また任天堂が彼らの商品を扱う小売店に不快感を表明したこともあって、取り扱いは次第に減少。その対策として、カラー・ドリームズは後にバンチ・ゲームズやウィズダム・ツリーといった別レーベルを興し、それぞれ5本前後のゲームをリリースさせたりもしていましたが、結局大きなヒット作を生み出すことができないまま、1994年にはヴィデオゲーム産業から撤退することになります。その後スタッフたちはスタードット社を設立しており、WEBカメラビジネスで成功を収めています。

カラー・ドリームズがもっとも注目を集めたのは、NES版「ヘルレイザー」を発表したときでした。1990年を通して開発が進められていたこのゲームは、ほとんどメガドライブなみの表現力を実現することが可能な「スーパーカートリッジ」として発売される予定になっていたのです。しかしZ80 CPUと64K RAMを搭載したこの化け物カートリッジは、あまりに高くつく代物でした。商品化するためには、安価が売りのカラードリームズ製品にはおよそ似つかわしくない80ドルという価格設定が必要と判明します。いくら凄い内容に仕上がったとしても、ホラー映画題材のゲームがそれほど一般受けするとは考えられないという事情も重なり、結局「ヘルレイザー」の発売は断念されることになります。