Amstrad CPC 464とその仲間たち

アムストラッドCPC (カラーパーソナルコンピュータ) は、シンクレアのZXスペクトラムや、アコーンのBBCマイクロとならんで、もっとも成功したヨーロッパ製パソコンのひとつに数えられます。アメリカや日本には正式に上陸せず、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オーストラリアなどで人気を集めました (ドイツではシュナイダー社がライセンス販売)。とりわけ大きな成功を収めたのはフランスでした。SECAMという独自のテレビ受像方式のために、コモドールもシンクレアも伸び悩んだこの国で、CPCはベストセラーの座を獲得、現在も根強いファンたちによって支えられているほどです。

アムストラッド社の設立者であるアラン・シュガー卿は、現在でこそ爵位の持ち主ですが、もともとはロンドンのあまり裕福でない家庭の生まれでした。高校卒業後、彼は製鉄会社の統計係や、カーラジオのセールスマンとして数年働きますが、1968年、21歳のときに一念発起して自分の会社を興しました。これがアラン・マイケル・シュガー・トレーディング社、略してアムストラッド (AMSTrad) です。

アムストラッドは当初、車のアクセサリや電気製品などを売買するだけの零細企業でした。しかし設立三年目に自社工場を建設し、低価格プラスチックラジオの製造に着手します。これが好評を博して事業は急成長を遂げ、オーディオアンプ、チューナー、無線機などへと、次々に手を広げていくことになります。1980年にはロンドン証券取引所への上場を果たしますが、その頃になると、アムストラッドは「それなりの製品を底値で提供してくれるメーカー」として、多くのイギリス人に知られる存在になっていました。とくに無線機業界では、一ニを争うシェアを獲得していたといいます。

シュガー氏は1982年、白熱するパソコン市場の様子に目を止め、自社もこれに参戦する意思を固めます。しかし開発担当のエンジニアが途中で逃げ出すなどのアクシデントがあって大幅に出遅れ、その第一号機・CPC464の発売に漕ぎ着けたのは、ようやく1984年になってからでした。この頃イギリスのホビー市場ではコモドール64とZXスペクトラムという二大勢力が凌ぎを削っていました。かたや突出した表現力、かたや他社を寄せつけない低価格ということで、この二者からシェアをもぎ取るのは容易なことではなかったのですが、アムストラッドが得意とするバランスの取れた低価格化戦略がここでも図に当たり、CPCは最終的に累計200万台以上を売るヒットシリーズへと成長していくことになります。発売二年目にはフロッピー搭載型の後継機・CPC664や、増メモリ型のCPC6128なども登場しています。

CPC464は、技術的にはまったく目新しいものではありませんでした。640x200ドットの高解像度モードが目を惹くくらいで、大まかにはCPCの少しあとに欧州へと上陸するMSXによく似た性能のマシンといえます (MSXより配色に融通がききますが、かわりにスプライト機能がありません)。CPCシリーズの開発を担当したローランド・ペリー氏は、「アムストラッドの製品ということで、高性能化よりも他社の製品に見られる欠点を排除することに重点を置き、安心して使えるようデザインした」と述べています。CPCの成功を支えたもうひとつ大きな要因は、キーボード、データレコーダ、モニタといった必要最低限の周辺機器が、最初からすべてセットになっていることでした。同じ方向性でヒットしたパソコンとしては、コモドール・PET-2001やMZ-80K/Cなどが思い出されます。

しかしいくら健闘したとはいえ、コモドールやシンクレアを追い落とすまでには至りませんでした (もちろんフランスでは例外です)。 ところが1985年、シンクレアが電気自動車事業に失敗して急に倒産し、その身をアムストラッドに預けることになったのです。アムストラッドはCPCと並行してスペクトラムシリーズも手がけるようになり、名実ともにヨーロッパ最大手のコンピュータメーカーとなりました。その後はワープロ機能重視のPCWシリーズ (CPCシリーズとの互換性なし) を発表し、さらにIBM-PC互換機などにも手を広げていきます。1992年にはメガPCという、メガドライブを内蔵したPC互換機も発売していました。これはテラドライブとは別物で、PCを通してメガドライブにアクセスすることはできません。もっとも単なるPCとしては、テラドライブより若干高性能でした。

さて、CPC464/6128のラインは、長きにわたって同じ基本仕様を守り続けてきました。しかし8-bit時代が終わりを迎えようとする1990年になると、ついにその上位互換機・464/6128プラスが登場します。最大64個のハードウェアスプライト (各32色), ハードウェアスクロール、カートリッジスロットなど、あからさまにゲーム機としての機能を重視した拡張が施されたマシンで、実際同じ設計に基づいたGX4000というゲーム専用機もリリースされています。しかしメガドライブ/スーパーファミコンへと進む時流をあきらかに見誤ったこのゲーム機は、史上まれにみる大失敗に終わり、発売後数週間で投売りされるようになったといいます。パソコンとして見た場合、16-bit機はまだ多少高価だったこともあって、464/6128プラスはかならずしも時代遅れとはいえない存在だったのですが、互換性に若干問題を抱えており、あまり奮わないまま数年で消えていきます。アムストラッドは1994年発売のPCW16を最後に、パソコン市場から撤退します。