ソ連の独自コンピュータ技術の衰退

先日の「プロジェクト・オーガス」に続いて、再び航天機構より。サイバネティクス弾圧期以降の紆余曲折が詳しく語られています。ソ連のIBM360クローンはリバースエンジニアリングで生み出されたものだと思い込んでいたのですが、実は背後に英独企業の姿があったのですね。

それにしても、クローン路線に転換したあとのソ連の歩みは、ルーマニアと対照的です。ルーマニアもほぼ同時期に、仏CII社からIris 50の製造ライセンスを取り付け、西側製コンピュータの国策的クローンを始めていました。技術こそ借り物ですが、その普及にかける共産党指導者たちの意気込みは、西側諸国を凌ぐものだったといえます。政府は1972年に、コンピュータを活用した経済コントロールの国家計画を発動しています。これはをあらゆる産業活動にコンピュータを導入しようというもので、その実現のためには、大量の技術者を育成することが急務でした。そこでまず、大学や研究機関におけるコンピュータ教育が著しい発展を遂げることになります。現代のコンピュータ技術者立国ルーマニアは、ここに端を発しています。

しかし1981年からチャウシェスク政権は巨額の外債償却を敢行し、ルーマニアの国家経済は急速に悪化。コンピュータ分野への投資は一気にしぼみ、そればかりか研究者の外遊さえ禁止されました。ルーマニアのコンピュータ技術は完全に孤立し、1989年の革命で自由を取り戻したときには、国際競争力を完全に失っていたといいます。コンピュータの大衆化に大きく遅れを取っていたソ連が、この間に態勢の建て直しを図っていたのとは、まるで逆の構図です。

1985年以降ルーマニアでZXスペクトラムのクローン機の開発が熱を帯びるのは、このような悪条件下でも、少しでもコンピュータ教育を進めようという苦肉の策だったのでしょう。共産党指導者も低価格なパーソナルコンピュータ誕生を幸いに思ったらしく、民衆が食うに困るような極貧にあえいでいた1987年に、それを押してまで高校でのコンピュータ授業を実現させています。