ハードウェアなきチェスプログラミング

第二次世界大戦中から終戦直後にかけて、興味深い現象が起こっています。まだ今日的な意味でのコンピュータが誕生していないにも関わらず、チェスをプレイするためのプログラムがいくつか考案されているのです。先陣を切ったのは、プログラム制御の汎用計算機を世界ではじめて完成させたドイツのコンラッド・ツーゼでした。彼は1945年ごろ、構想中の新型マシン・Z4のためにPlankalkülというプログラミング言語をまとめあげ、それを使ったチェス運行用プログラムを書いています。

ツーゼは最初のマシン・Z1を完成させたあとで、はじめてバベッジの解析機関について聞き及んだというくらいで、他国におけるコンピュータ開発事情にはほとんど無頓着でした。アヘドレシスタやニモトロンのようなゲーム機についても知識は持っていなかったことでしょう。彼のプログラムはゲームを攻略するという段階までは到達しておらず、ルールに矛盾しないよう駒を動かすので精一杯というものでした。

チューリングもツーゼとだいたい同時期に、チェスの自動プレイについての考察をはじめていました。彼は戦時中、ドイツ軍の暗号解読に従事していたのですが、その当時に同僚たちと、ゲーム木から最善手を探す方法について議論していたそうです。学生時代からチェスを嗜み、またバベッジを愛読していたというチューリングですから、自動チェスマシンへの憧憬はたぶんもっと早くに抱いていたに違いありませんが、暗号解読の現場に身を置くことで、思考に弾みがついたのでしょう。彼は暗号解読に自動チェス研究との共通性を見出していたといいます。

チューリングは大戦後期から、より高度な暗号を解読するための専用コンピュータ・COLOSSUSに接し、これを通して電子式デジタルコンピュータの具体的な原理と性質を体得しました。そして戦後、この経験を活かしてACEと呼ばれるイギリス初の汎用コンピュータ開発計画を立案指揮します。しかしプロジェクトは予算に恵まれず、ACEの独特すぎる設計も仇になって、間もなく計画は頓挫しました。チューリングはプロジェクトを抜け、1948年秋にマンチェスタ大学数学部へ講師として赴任しています。