甦るチク・タク・ツー・マシン

実際に動作したことが確認できる最古のゲームプログラムは、意外なことに、死んだかに思われていたACEプロジェクトから生まれました。実はチューリングが去ったあとも、プロジェクトは少しずつ前進していたのです。そして1950年5月には、遅まきながら試作機を完成させ、簡単なテストプログラムを走らせるところにまで漕ぎ着けていました。

チューリングの不在を補うべくACEプロジェクトに奔走したひとりに、ドナルド・ワッツ・デイヴィスという新進気鋭の物理学者がいました。彼はチューリングと入れ替るようにしてプロジェクトにやってきたわけですが、すでにチューリングには大きな影響を受けていたようです。バベッジに興味を持つことになったのは、おそらくはそのあたりが縁だったのでしょう。彼はプロジェクトの合間を縫ってチク・タク・ツー専用コンピュータを製作し、ACEのお膝元である国立物理研究所で毎年開催される子供向けパーティに、それを提供します。この小さなパーティこそ、バベッジの挫折以来ほとんど忘れられていたチク・タク・ツー・マシンが、100年の時を経てついに復活を遂げた瞬間でした。かつてバベッジが目論んだとおり、それは子供向けのエンターテイメントでありながら、同時に大人たちの注目も集めます。1949年5月には王立協会の科学展示会に出展され、デイヴィスは翌年これについて論文を執筆しました。

チク・タク・ツー・マシンの成果は、ACE試作機が完成すると、すぐにそちらにも反映されたようです。この頃チューリングと共同でハンド・シミュレーションをやっていたドナルド・ミッキーは、1950年にACE試作機を見学し、ACEによるチク・タク・ツーの完全プレイが来訪者たちの目を釘付けにする様子を見ています (これには彼自身も勇気づけられました)。しかしデイヴィス自身は、これ以降ゲームに関する研究を行っていません。彼の興味はコンピュータの用途拡大というより広範なテーマへと向かい、やがてインターネット誕生の先駆的業績を達成することになります。ゲームプログラム研究においてデイヴィスのあとを継いだのは、クリストファ・ストレイチイ。コンピュータに趣味でプログラミングすることを許された最初の市民のひとりです。