Homebrew Computer Club ニュースレター集 オンライン公開

パーソナルコンピュータの起源というのは定義次第でいろいろ変わってくるものですが、ユーザー文化の出発点はどこかということになれば、ホームブルー・コンピュータ・クラブ (HCC) をおいて他にないでしょう。それはパーソナルコンピュータに魅せられた人々によるはじめての集いであり、ここから生まれたプロセサ・テクノロジやクロメンコといった周辺機器メーカーの貢献こそが、何もできないアルテア8800を本当の意味でのパーソナルコンピュータに仕立てたのだといっても過言ではありません。アップルもまた、HCC抜きにしては存在しえなかった会社です。リー・フェルゼンシュタイン氏という良きリーダーに導かれながら、ホビーコンピューティングのあるべき姿を模索していたHCC。その最盛期である1975年から1977年にかけてのニュースレター21通が、DigiBarn Computer Museumにおいてオンライン公開されました。

ざっと目を通してみて印象的だったのは、ソフトウェアプログラマの不足が早くも創刊第2号から囁かれ、以後もたびたびプログラムを求める声が散見されることでした。いわゆるホビイストには当初圧倒的にハードウェア寄りの人間が多かったので、これは無理もない話です。ビル・ゲイツを激怒させたMITS BASIC流出事件 (Volume 2 issue 1, p2) は、よくハッカー倫理とソフトウェア販売の衝突として描かれますが、末端ユーザーにとってはハッカー倫理よりも何よりも、ソフトウェアの欠乏こそがもっとも深刻な問題だったといえそうです。「このBASICがなければアルテアは使い物にならなかった」(Volume 2 issue 2, p2) という読者の声からも、そのあたりの切実さが伝わってきます。皮肉なことに、ソフトウェア関連の記事は、この事件の後から増えはじめるのですが。

もうひとつ印象深いのは、テレビ出力インターフェイスの製作記事がやたらに出てくることです。需要が大きかったのは当然としても、アルテア程度のマシンにとって、家庭用テレビに画面表示するのは結構な重荷だったはずなのですが、不思議なことに創刊当初から、当たり前のように家庭用テレビの使用を前提とした話が出てきたりします。何故なのかと思ったら、あちらではパーソナルコンピュータよりも先にTVタイプライタなるものが登場していて、これをコンピュータのディスプレイに応用しうるということに、皆気付いていたからなのですね。TVタイプライタはアルテア8800がアナウンスされたのとちょうど同じ月に、同じ『ラジオ・エレクトロニクス』誌上で本格的にターミナル化されています。当時アルテアを予約した人の多くは、こういうものを組み合わせて使用する可能性まで視野に入れていたのでしょう。

(ところで実をいえば、家庭用テレビをコンピュータのディスプレイにする方法を最初に考案したのは日立の浜田長晴氏です。その特許は1968年に出願されています。このかたは他にもいくつかパソコンのディスプレイ史に重要な貢献をしているのですが、そのあたりはいずれ改めて)。

なにしろパソコン創世期の最古級史料ということで、その他にも幻のAstral 2000についての記事だとか、IMSAI8080のマルチプロセサモジュールだとか、興味の種は尽きないのですが、今回はとりあえずこのへんで。