『それは「ポン」から始まった』 書評

当雑記をご覧のかたなら既にご存知だとは思いますが、『ゲームマシン』紙の編集に半生を費やしてきた赤木真澄氏によるアーケード・ヴィデオゲームの歴史書が、先日出版されました。これまでアーケードゲームの歴史がいかに漠然と語られてきたか、ということを思い知らせてくれる、予想に違わぬ内容の濃さであり、孫引きの積み重ねのような同人誌以下のゲーム史本が跋扈する日本にあって、作り手たちの動静を血肉の通った視点から描き抜いた書が誕生したことを、まずは祝したいところです。

この本のもっとも大きな特徴のひとつは、断絶だらけの70年代〜80年代序盤を一本の糸に縒りまとめ、アーケードの通史を紡ぎ出すことに成功していることでしょう。以前から度々指摘しているように、現在のヴィデオゲーム史研究は1970年代を軽視しすぎているわけですが、この本は「スペースインベーダー」までの時代に1/3強のページを割き、当時の主役であるアタリだけではなく、グレムリン、エキシディ、ミッドウェイ、シネマトロニクス、スターン、ウィリアムスといった重要メーカーたちの功績にも然るべき評価を与えています。スクロールシューティングゲームの先駆的業績を残したエレクトラ・ゲームズへの言及がないのは残念ですが、その評眼には海外と日本の両事情に精通した著者ならではの説得力があります。

しかし赤木氏でなければ書き得なかったのは、それにもまして日本の黎明期の姿でしょう。なかば伝説化してしまっていた「ブロック崩し」時代の実態を、各社コピー製品のタイトルまで網羅して解説し、続く「スペースインベーダー」時代の前哨として紐解いてみせたのはさすがです。この時点で先陣を切ったのはユニバーサルとタイトーであり、その他の類似製品は、しばらく後の1978年1月から4月にかけての期間に集中して登場していたというのは、たいへん興味深い事実です。日本における家庭用ヴィデオゲームの第一次流行は、まさにこの時期に急速に消沈しているので、家庭内から家庭外への主役交代という流れが見えてきます。

そして話は「インベーダー」へと及ぶわけですが、ブーム渦中の波乱はもちろんのこと、ブーム終了の過程とその波及効果までもがきわめて具体的に描写されており、ここでも歴史の断絶を埋める努力が際立ちます。その影響は今日考えられている以上に多岐に及ぶもので、パチンコの「フィーバー」システムまでもが「インベーダー」ブームの結果として認可されたものだったなど、驚かされる点も多くあります。

さて、この本のもうひとつの大きな特色は、訴訟沙汰や法律闘争にかなり多くのページを割いていることです。ヴィデオゲームがそれほど多くの修羅場をくぐりぬけて市民権を確立してきたということの裏返しといえますが、後半では話が家庭用ヴィデオゲーム機固有の問題にまで及んでおり、多少行きすぎの印象も拭えません。いずれにせよこのあたりは全般に難解で、一般読者には多少退屈なところであるといえます。逆に法律問題に興味がある人には、アーケード史の枠を超えて大きな読み応えを提供するはずですが――ここまでやるなら、いっそハッカーインターナショナル事件にまで踏み込んで欲しかった。

ともあれ、こういったフィールドこそ赤木氏がもっとも心血を注ぐところであるというのは間違いないところで、ピンボール禁止条例にはじまる大小さまざまの事件の歴史的位置付けを、予断の入りこむ余地のない透徹した筆致で描き出しているのは、見事というほかありません。とくに業界が著作権問題を克服していくまでの真の足取りは、この本を以ってしてはじめて正当に理解されうるところだと思います。コピー基板全盛時代に、なぜコナミはあえて暴力組織と関係を持たなければならなかったのかという謎などにも、明快な解答を示してくれます。

このような法律問題への言及は、第19章「新風営法によるゲーム場規制」でクライマックスに達します。悪名高き1984年の風俗営業法改正がどのような過程を経て成立したのか、今となってはほとんど語られることもありませんが、その杜撰きわまりない立法根拠は決して忘れてはならないものだということを、読者はここで嫌というほど実感することになるでしょう。これは決して過去の話ではありません。ヴィデオゲーム機をむりやり射幸遊戯の範疇に押し込めた新風営法が、今なお罷り通っているのはどういうことなのか。それはとりもなおさず、ヴィデオゲームの本質についての議論がこの20年間十分に深められてこなかったということではないのか。そういうきわめて重い問題を、この章は暗に提起しています。私たちがヴィデオゲームの本質について語るとき、それは「面白さの本質」についての議論に摩り替わってしまいがちです。そうではなくて、何がゲームをゲームたらしめているのかという根本を掘り下げていかなければ、この先同じようなミスリーディングが二度三度と繰り返されることになりかねません。ヴィデオゲームに対する新たな法規制への動きは、現にさまざまな方面で芽吹きはじめているわけですから。

最後にいくつか不満を挙げておきます。まずハードウェア技術についての記述がいくらか頼りない点が気になりました。スプライトはナムコギャラクシアン」からであるといったような古い常識が散見されるのは残念なところです。またカタログスペックの書き写しのようになってしまっている一部の製品については、もう少し丁寧な説明を心掛けて欲しかった。

それから著者の専門外である家庭用ゲーム機について間違いが多く見受けられます。国産機種については概ね問題ないものの、海外機種について大小さまざまな誤解が目につくのです。このあたりはスティーヴン・ケント氏の『アルティメト・ヒストリ・オブ・ヴィデオゲームズ』を底本としている箇所が多いのですが、それ以上の細部には迫りきれておれず、結果的に「事実を曲げる意図はない」という著者の態度が不徹底に終わってしまっているのは、惜しいことだと言わざるをえません。