Franklin Ace - 違法判決を下された最初のパソコン

1982年、当時もっとも成功したアップルII互換機として知られるフランクリン・エース 100シリーズが登場します。これはアップルに無許諾で製造されたクローン機ですが、それでも当時は、おおよそ合法的な存在として認識されていました。というより、そもそもアルテア8800以降のパーソナルコンピュータ市場を支えたのは、幾多のアルテア互換機たちだったわけで、その流れからいってアップルII互換機もまた、ことさら違法性を強調されることはないだろうと信じられていたわけです。実際「BYTE」誌をはじめとする当時のコンピュータ雑誌も、アップルII互換機の広告を堂々と掲載しています。

フランクリン・エース100は、正面切って世に現れた最初のアップルII互換機のひとつでした。しかしアップルはその振る舞いを黙認することなく、発売後ただちにフランクリン社を告訴します。内蔵ROMに埋め込まれた専用プログラムがなければ使えないという点で、アップルIIはアルテア8800とは決定的に性格の異なるものでした。そしてフランクリンが純正のROMプログラムとオペレーティングシステムをそっくりそのまま使用していることを、アップルは見逃しませんでした。これらのプログラムが単なる機械的な部品ではなく、著作物にあたると主張することで、アップルは互換機の存在を退けようとしたわけです。

現代から見ればあまりに当然の主張ですが、当時はまだプログラムに著作権を認めるのが妥当かどうか、法解釈が固まっていませんでした。厳密にいえば、ソースプログラムは著作物だと認められていましたが、そこから生成されたバイナリプログラムまで著作物と認めていいものなのかどうか、疑問視される面があったのです。またこの時点では「基本プログラムは独創性の入り込む余地のないものであり、これに著作権を認めるのはおかしいのではないか」とも考えられていました。そのためアップルの請求は、一度は却下されることになります。

この棄却で勢いづいたものか、これ以降カナダ、韓国、ドイツなどからも、次々と互換機が登場するようになります。互換機というと単なる廉価版のイメージが付き纏いますが、とくにドイツの製品には、洗練ぶりにおいて本家を凌駕するものも少なくなかったといいます。このままいけば、アップルは大打撃を被っていたことでしょう。しかし1983年8月、裁判は差し戻され、判決は逆転しました。結局フランクリン・エースは違法商品であるということになり、フランクリンはコンピュータ産業から撤退。こうして北米におけるアップルII互換機の歴史は、一度幕を下ろすことになります。