その後のExidy

1980年代のエキシディは、もう一人の鬼才、ラリー・ハッチャーソン氏をゲームデザインの主戦力とし、「マウス・トラップ」ほかいくつかのヒット作を残しています。「チラー」を初めとするガンシューティング路線を支えたのも彼でした。しかし残念ながら、彼の時代のエキシディについて、あまり多くの資料は残っていません。

エキシディは1984年の米国アーケード不況はなんとか乗り越えたものの、1986年に事業破綻しています。その後の経緯は定かではありませんが、1988年までは新作ゲームを作り出していました。一説によると現在もまだXidyという社名で存続しており、子供向けの乗り物などを製造しているといいますが、たしかなことは何も分かりません。なおアイヴィ氏は1986年にエキシディを去り、セガに合流。のちにはセガアミューズメントUSAの代表に就任しています。近年はSystems 99 LLCという会社を興して、「ドラゴンズ・レア」を復刻したりもしています。ハッチャーソン氏はエキシディのゲームを最後まで手がけたあと、ミッドウェイに移ってスポーツゲームを多数製作しています。