フィリップス・ヨーロッパのヴィデオゲーム市場戦略

それにしても、フィリップス・ヨーロッパ自身はなぜ2636Nや2737Nをベースにしたゲーム機の完成品を発売しなかったのでしょうか。アルカディア2001研究の第一人者であるウォード・シュレイク氏は、フィリップスは2737Nベースのゲームシステムを幅広くライセンスすることで、いわば業界標準をでっち上げ、それによるヴィデオゲーム市場の制覇を狙っていたようだと述べています


アタリがフィリップスとあれほどまで激しく争った理由は、フィリップスが1982年に立てた計画が、まさに市場独占を狙ったものだったからです。彼らはゲーム機を創造し、それと一緒に出せるゲームを創造して、ライセンス料を払うものすべてに売ってやろうと考えていたのです。フィリップスはおそらく「ポン」全盛期の、ヴィデオゲーム特許に関する違反や裁判から、こういうやりかたを学んだのでしょう (訳注: ヨーロッパや日本では、マグナヴォックスが持つヴィデオゲームの基礎特許をフィリップスが管理していた)。もし首尾よくいっていたなら、3DOを思わせるお膳立てになっていたはずです…20年早すぎたという点以外は。設計はこちらもち、製造はあちらもち、そういうかたちで収益をあげることができたわけです。もっとも3DOと違って、ゲーム機は安上がりに製造できます。フィリップスの計画は巣晴らしかった…しかし数年遅すぎました。
フィリップスは同時期にCDやLDの標準規格を確立していたわけですが、そうした発想がヴィデオゲームの世界にも及んでいたとは驚きです。仮に2637Nの推進が数年早かったとしても、怒涛の低価格化を遂げたテキサス・インストゥルメンツチップセット (TMS9918 VDP + SN76489 DCSG) に抵抗することが出来たかどうかは怪しいですが、このようにして早くから互換機構想に血道をあげていた経緯を見ると、フィリップスがのちにMSX構想に惹かれたのにも合点がいくというものです。